武蔵野の面影を色濃く残す井の頭公園のほど近く、静かな住宅街の一角に高木邸は建っています。木目調の明るいサイディングと芝生の緑が広がる前庭が、見るからに若いご夫婦の新居という佇まい。地元で生まれ育った奥様と、すっかり日本が気に入った米国人のご主人が、日本で暮らすことになって新築した木造2階建。1階はご自宅、2階はご夫婦が経営する「ECS英会話スクール」(TEL:0422-57-8575)の教室になっています。職住隣接のうらやましい住環境。ご夫妻のロマンスとご家族の愛情から生まれたこの家は、訪れた人まで幸福にさせる幸せのオーラに包まれていました。
高木邸は、オーナーご夫妻のロマンスの結晶ともいうべきお住まいです。奥様の高木かよ子さん(28)は、高校生のとき短期留学した米国テネシーの大学でご主人のアンドリュー・ニューマンさん(28)に出会いました。10年前のことです。
かよ子さん(以下K)「アンドリューは同じ歳ですが、飛び級してもう大学生でした。お互いに好意を抱いたものの、私は2ヵ月半で帰国してしまい、もう会えないと思っていました。でも、8年後に再会して、その日の内に結婚することに決めたんです」
アンドリューさん(以下A) 「誰もが信じられないと驚きました。きっと運命だったんですね」
お二人ははじめ米国に住むつもりでした。ところが、来日してしばらく東京で暮らしたアンドリューさんが、すっかり日本を気に入ってしまったのです。
A「食事はおいしいし、人々は親切。ぼくには前の結婚で生まれた息子がいるんですが、教育も環境もいいから、子育てにも日本のほうがいいと思いました」
お二人は、息子さんのマシューくん(11)も呼び寄せて日本で暮らすことに決めました。日本に腰を落ち着ける決意をした若夫婦を見て、かよ子さんのお祖母さんが住まいを建てるよう敷地を提供してくれたのです。元々かよ子さんが生まれ育ったふるさと。お二人の新居造りがこうして始まりました。
A「驚きましたよ。米国で住宅といえば、建売が当たり前です。自分の思うままに建てる注文住宅なんて、大富豪でなければあり得ませんからね」
アンドリューさんは、お国柄の違いにビックリしたそうです。日本に来なかったら、注文住宅なんて一生建てることはなかっただろうといいます。
まず、お二人は間取りについて毎日語り合いました。ああしたい、こうしたいという夢や希望をどんどん紙に書いていき、その中から現実性のあるものだけを残していきました。
K「家を造るなんてはじめてで分からないことばかりでした。幸い両親が不動産のプロで何軒も家を建てていたので、両親がいろいろアドバイスしてくれました」
家造りの経験豊富なかよ子さんの両親からの最大のアドバイスが、施工は丸二に任せなさいということでした。
K「両親は3年半ほど前に、賃貸マンションの建設を丸二さんにお願いしたことがありました。はじめてのお付き合いだったのですが、その時の印象がとてもよかったので、今度家を建てるなら絶対に丸二さんと決めていたのです」
こうしてある程度お二人のプランが固まった2006年9月からは、丸二の担当者や設計者も加えて、本格的な打ち合わせが始まりました。
実は、お二人にはゆっくり設計プランを練っている時間がありませんでした。その年の12月末にはアンドリューさんが日本への移住準備のため一時米国へ帰らなくてはならず、その後春まで日本に戻れなかったからです。出発までに設計を決定しなくてはなりませんでした。
A「あの3ヶ月間は、毎日一日中、家造りのことばかり考えていましたよ」
こうしたいと考えても、技術的な問題や予算上などさまざまな条件で無理なプランもありました。丸二の担当者を加えた打ち合わせが頻繁にくり返され、プランは何度も練り直されました。特に難しかったのはキッチンだったといいます。
A「リビングの中央にアイランド・キッチンを設置したかったんです」
アンドリューさんの夢を果たそうと、一番時間をかけてさまざまな方法が検討されましたが、最終的には換気の問題で実現しませんでした。
K「丸二さんが、何でもほんとうに細かく教えてくれるので、納得がいきました」
こうして12月半ばには、設計図が完成しました。
A「無駄のない、シンプルな家になって、二人ともとても満足でした」
歳末の東京を後に、お二人は安心して米国へ旅立ちました。
2008年が明け、丸二による高木邸の建設工事が始まりました。施主であるお二人は、何千キロも離れた米国テネシー州です。工事の経過を見ることはできません。不安はなかったのでしょうか。
K「父が工事現場に毎日足を運んでくれました。でも、それ以上に安心できたのは、丸二さんの担当の方が頻繁に工事の進行具合を写真に撮って、今日はこれを取り付けましたとか、ここが完成しましたとか、とても細かく電子メールで報告してくれたんです。まるで日本にいて工事現場を見ているようでした」
電子メールで送られてくる写真を見ると、我が家はイメージ通りに出来上がっていっています。メールが届くたびにチェックしますが、何ひとつ問題点はありません。おかげでお二人は安心して米国に滞在できたといいます。
K「私たちが3月に日本に戻ると言っていたので、丸二さんは毎日夜遅くまで工事して急いでくださったそうで、2月の半ばにはもう家ができあがってしまいました」
待ちに待った我が家がついに完成しました。でも、お二人はまだ米国です。帰国まではまだ一月近くありました。完成した我が家を見に行きたくても行けません。
K「そんな私たちに、兄がすてきなプレゼントをしてくれたのです」
かよ子さんのお兄さんが、完成した我が家をビデオに撮って、動画投稿サイトに投稿してくれたのです。お二人はさっそくアクセスして、インターネット上で我が家とはじめての対面を果たしました。
A「パソコン画面で見ているだけで、もう我が家にいるように思えました。夢に描いていた通リの出来上がりでした」
イメージ通りに出来上がった我が家に、お二人ははるかテネシーで歓声を上げたと言います。
2008年3月、マシューくんを伴って成田に降り立ったお二人は、まっすぐ新居へと向かいました。出発前、何もなかった敷地に、完成したばかりの真新しい我が家が建っていました。
A「信じられない光景でした。頭の中で描いたイメージ通りの家が、目の前に建っているんです。とても感動しました」
家に入った瞬間、お二人はまるで以前来たことがあるような、そんな気持ちになったと言います。それほど、イメージがそのまま形になっていたと、アンドリューさんは言います。
A「外壁は木目調のサイディング、室内の壁も木目調にまとめました。ぼくはテネシーの田舎育ちなので、山小屋のような家にしたかったんです」
他にアンドリューさんがこだわったのは、キッチンとリビングの間に作ったバーカウンターでした。
A「アイランド・キッチンが無理だったので、どうしてもバーカウンターを作りたかったんですよ。低いダイニングテーブルは嫌いでね。こういう高いカウンターと高い椅子が落ち着くんです」
アンドリューさんは、さっそく新居のためにと米国から買い求めてきたネオンサインをカウンターの上に置きました。気分はすっかりバー。ところが……。
A「あまりにも居心地が良過ぎて、今では食事もお酒も、テレビを見るのも、仕事も接客もすべてここですませるんです。マシューもここで宿題をやってます」
バーカウンターといっても、ダイニングテーブルほどもある幅。バーはもちろんですが、食事のときも十分役目を果たします。いつしか家の中でいちばん居心地のいい、中心的な場所になっていました。
K「一ヶ所だけ二人の考えが違ったのは、バスルームでした。アンドリューは、欧米式のバス・トイレがひとつになったものを希望しましたが、私は日本風にトイレが分かれているほうがいいと、はじめて意見が分かれました」
結局、バスとトイレは隣同士にして間仕切りとドアを設けるという折衷案に落ち着きました。今回、かよ子さんの意見を通した唯一の場所です。今ではアンドリューさんも、このほうが落ち着くと大いに気に入っているといいます。
庭から子どもたちの声が響きます。マシューくんのためにと、アンドリューさんが先日庭の芝生の上に組み立て式プールを設置しました。家族全員で入れるほどの大型です。夏休みを利用してテネシーからやってきた従兄のブランドンくん(13)と飛び込んだマシューくんは大喜び。まだ新築5ヶ月足らずというのに、もうずっと前から暮らしているかのように、家とご家族がぴったりと呼吸が合っています。
A「この家は、二人の夢がそのまま現実になった家なんです。今はすべてに満足しています」
こんな家に出来上がったのも、丸二のおかげだと、かよ子さんはあらためてふり返ります。
K「丸二さんは、細かいことも何でも詳しく教えてくれます。それにウソがないというのでしょうか。お金のことや、変更になった点なども、いちいちきちんと伝えてくれて確認してくれました。後になって、こんなはずではということがひとつもありません。両親の薦めでしたが、丸二さんにお願いしてほんとうによかったと思っています。おかげで、思い通りの家に住めて、私たちはほんとうに幸せです」
若いお二人の夢を、家族の愛情で支えてできあがった素敵なお住まい。おじゃましただけで、こちらまで心が温まりそうな、幸せのオーラが家中に満ちあふれていました。