梅雨空の下、下北沢の商店街は行き交う人で賑わっています。美味しそうなレストランや、掘りだし物が見つかりそうな古着屋さんが並び、思わず足を止めたくなります。
7月上旬の土曜日、下北沢にある「礒崎邸(ル・シェル)」をお訪ねしました。下北沢の駅西側には、閑静な住宅街が広がります。低層の戸建てに緑がそよぐ、賑やかな商店街とは異なる下北沢の町並です。「ル・シェル」はその一画に建っています。白い壁にオレンジ色のスペイン瓦とテラコッタ、美しいアーチのロートアイアンが印象的な南欧の風情を漂わせる佇まいは、梅雨の鬱陶しさを一時忘れさせてくれます。
地下1階が賃貸住宅、1階~2階が賃貸住宅と貸店舗、そして3階がご自宅となる「ル・シェル」をご紹介します。
以前この場所に建っていたのは、礒崎家のご自宅とお菓子工場でした。礒崎家は70年以上続いた由緒あるお菓子屋さん、サラリーマンだった礒崎さんが後を継いだのは数年前のことです。「時代の流れで商売の見通しも難しくなってきましたので、他の事業を考えはじめたのが、ル・シェル建設のきっかけです。」とおっしゃる礒崎さんです。駅に近く利便の良い土地を活かすには、やはり賃貸住宅経営が最適です。
当時の礒崎さんはお菓子作りに精を出しながら、下調べを開始します。「建設に関しては全くの素人ですから、インターネットを利用して様々な情報を集めました。まず、建物に付加価値と普遍性を生み出す機能を追求したところ、ルネス工法と外断熱工法に興味を持ちました。この二つのキーワードで検索した結果出てきたのが、丸二さんのホームページです。」またその時の印象を、「非常に分かりやすいホームページでした。企業の意図と姿勢が読み取れ、良心的な正直さを感じました。」とおっしゃいます。
早速丸二にメールを送ると、程なくして丸二の営業マンが訪れます。「まだ建設までには時間がありましたので、“時期が来たら丸二さんを候補として考えます”と言ってこの時はお引取りいただきました。」と、数年前の丸二との出会いを振り返ります。
下調べを続ける中、周辺の不動産事情に詳しい地元の不動産会社へ相談に行きます。「1種低層住宅地域による高さ規制があったり、世田谷区はワンルームの戸数と床面積に条件が付いたり、素人には分からない法規制がありました。まず法的な対応をした上で、事業として採算が取れる建物の構想を練っていただきました。」賃貸部分の間取りや部材選びはこの不動産会社に任せることにして、不動産会社から信頼できる設計士の紹介を受けます。計画は徐々に進行し、堅固な構造を重視した設計図ができあがります。
さて、次は建設会社の選定です。「不動産会社紹介の建設会社、賃貸住宅を得意とする中堅の建設会社、そして丸二さんの3社が候補になりました。この3社での入札形式を取る予定でした。ところが、中堅の建設会社がこの時点で降りました。会社の方針で完全なオーダーメイドの建物は受けられなくなったとのこと、手間が掛かる自由設計の建物は採算性が悪いからでしょう。」と礒崎さんはおっしゃいます。この間に、各建設会社の施工物件も見学します。「何件か見て回る内に、丸二さんの物件は立地条件がここと似通った住宅街が多く、建物が隣接した場所での工事に手馴れているなと感じ、安心感を持ちました。」と礒崎さんの感想です。
しばらくして2社から見積書が提出されます。「2社ほぼ同額の見積りが提出されましたが、丸二さんの方が、詳細な部分まで記載されていて分かりやすい内容でした。限られた時間で精度の高い見積書の提出に感心しました。設計士の方からも“内容を見る限りでは丸二さんですね”と言われ安心感も募り、丸二さんに“桜咲く”の報告をしました。」平成17年春のことです。
以前訪れたドイツやフランスの歴史を感じる町並が好きだとおっしゃる礒崎さんご夫妻です。その普遍性に富んだ飽きの来ない美しさを、建物の意匠に取り入れることを考えます。「町並に協調しながら、美観として優れた建物を創りたいという想いがありました。」と礒崎さん。プランを練っていく過程で、当初念頭にあったルネス工法は通常よりも1階当たりの高さを要するため、高さ規制の厳しいこの場所では賃貸戸数が減少することから、収支面を考慮し外すことになります。また外断熱工法は、現在の東京の気候を考慮し外しても差し支えがないという結論に至ります。礒崎さんが求めていた建物の付加価値と普遍性は、意匠で生み出すことになりました。
そんなご夫妻のこだわりの意匠を実現するためには、優れたデザイナーの力が必要でした。「ヨーロッパの街をレンタカーで路地裏まで入り込みスケッチをされる方です。こちらの希望を良く理解してくれました。そして、経験と実績から持ち得た彼の引出しからは、良質な素材が提案されました。」と、その力を高く評価される礒崎さんです。実際に、この建物の象徴ともなる門扉や、フェンスに使われたロートアイアンは、デザイナーの方が自らデザインし、セブ島で製作、礒崎さんが直輸入した物です。「良い素材は飽きることもなく、使い込む程に味わいがでます。良い物を長く大切に使いながら、建物を育てて行くことも大事なコンセプトです。」と礒崎さん。
ここまでの意匠を実現するまでには、こんな出来事もあったとか・・・「関係者全員で会議をしていた時のことです。デザイナーの方は意匠面から、不動産会社の方はコスト面から、意見をぶつけ合っている内に大喧嘩になりました。でもお互いがプロの意識から妥協を許さない意見のぶつけ合いは、私達にとっては有り難いことでした。丸二さんの巧みなコストコントロールにも助けられ、妥協点が高くなり良い結果が生まれました。」と、当時を振り返る礒崎さんです。
設計は設計士、意匠はデザイナー、賃貸部分の間取りと部材選びは不動産会社、そして建設は丸二と、それぞれがプロとしての力を惜しむことなく尽くした「ル・シェル」の建設模様です。
平成17年6月に工事着工となります。工事期間中は東松原の賃貸住宅に仮住まいされていた礒崎さん一家です。「家業のお菓子屋は廃業しましたが、私個人の事務所が下北沢にありましたので、毎日の様に現場には顔を出しました。構造建築の図面にある太い鉄筋の位置や本数も確認、コンクリートの打設も見て、しっかりした基礎工事に信頼感が高まりました。でも今回の工事は、設計は設計士、意匠はデザイナー、賃貸部分は不動産会社と、三者三様に仕切ったので、横の連携を取りながらまとめた現場監督さんは、ものすごい苦労があったと思います。」と礒崎さんはおっしゃいます。加えてロートアイアン、キッチンカウンター、サッシなどは礒崎さん自ら取り揃えたオーダー品です。納期や精度を調整しての取り付けにも現場の苦労があった様子です。
折しも建設途中で社会問題となった一連の耐震偽装問題に対しては、「設計士の方を信頼していましたし、丸二さんの工事も実際に見ていましたから安心できました。また、丸二さんはこの問題に対して、即座に建設会社としてのメッセージを発表し、この時の対応にも会社の誠実な姿勢が感じられました。」とおっしゃいます。そして、「丸二さんへの評価は、何といっても組織の柔軟性とコストパフォーマンスです。会社として工事途中で起きる様々な変化を受け入れる度量がないと、現場も動き難くなります。これだけ面倒で手間を要する建物を、納得のできる価格で創っていただき、非常に感謝しています。」と、嬉しいお言葉をいただきました。
アフターメンテナンスに関しては、こうおっしゃいます。「深刻な状況は一切ありません。人の手で創っているのですから、何処かが欠けたり、剥がれたりするくらいは起こります。連絡すればすぐ対応していただける、常に気遣いを感じる姿勢が嬉しいですね。」と。
平成18年2月「ル・シェル」は竣工となります。
フランス語で青空を意味する「ル・シェル(Leciel)」、名づけ親は礒崎さんの中学生のお嬢さんです。白い壁にオレンジ色のスペイン瓦が青空に映える佇まいを象徴する、美しい名前になりました。
ヨーロッパの石畳を想わせるエントランスを行くと、アーチが美しいロートアイアンの門扉が「ル・シェル」の入口です。一歩中に入ると、地下の噴水から涼やかな水音が聞こえてきます。テラコッタタイル敷きの床に、紫陽花の花を浮かべた噴水がある贅沢なスペースを取り囲む様に、賃貸スペースが並ぶ地下1階です。「南にウッドデッキを設置して、光を部屋まで採り込む様にしました。静かですし、地下が一番評判の良い部屋になりました。」と案内して下さった礒崎さんです。竣工前に、賃貸全ての入居者が決まりました。入居者からは、「この場所で、この創りで、こんな安い賃貸料で良いのですか」という言葉も聞かれる程の評判です。入居者の方も家に戻るのが楽しくなる、付加価値のあるスペースと普遍性に富んだ美しい意匠が実現しています。礒崎さんご自身、「時を経るのが楽しみな建物になりました。10年後のル・シェルは、きっと味わい深い趣きになっているでしょう。」と、事業としても快調なスタートになりました。
さて、いよいよ3階の礒崎邸をご紹介します。重厚な木の扉を開けると、味わい深い天然石が敷かれた玄関です。玄関からは薪ストーブが印象的な広いリビングへと直接繋がります。「リビングを経由して各居室へ繋がる間取りです。家へ帰るとまずリビングへ入ります。家族の気配をいつも感じられる様にしたいという家内の提案です。」とおっしゃる礒崎さんです。高い天井に大きな天窓、南側を取り囲む様に創られたベランダからは心地良い風が入り込む、明るいリビングです。「風の通りが気持ち良く、解放感があります。」とは、礒崎さんのお母様の感想です。リビングの床は、落着いた色合いに木目が美しい松の無垢材です。「丸二さん推薦の天然無垢材を使いました。夏は素足に心地好く、冬は温もりを感じ気に入っています。皆さんにもお薦めします。」と礒崎さんの感想です。
さて、この日お留守だった奥様に代わって、「家内の聖域スペースです。家族全員で料理しても余るほどの広さです。」と礒崎さんが笑いながら紹介して下さったのが、リビングの一画にある美しい意匠のキッチンスペースです。
床に敷かれたテラコッタは、メキシコから取り寄せた逸品です。「最初は冷たそうで違和感がありましたが、実際に使うと土の温もりが感じられ気に入りました。デザイナーさんに“土間の感覚で使って下さい”と言われています。」とおっしゃるのはお母様です。キッチンカウンターの前壁にはアンティーク調の煉瓦タイルが貼られ、天井は黒竹にお鍋や食材が吊るせる工夫が施され、ヨーロッパの田舎風と称される雰囲気が醸し出されています。
リビングと一体化して隣接するのは和室です。以前の家で使われていたガラス窓・棚・床材などを使用して、味わい深い懐かしさの残るスペースが生まれています。「父が材木から選んで建てた家でした。愛着もあり大事にして来た物を残しておきたいという想いがありました。」とお母様、そしてご自身のお部屋にも案内して下さいました。「入口の引戸は私の希望です。開け具合で風の通りも調整できますし、リビングに居る家族の気配も感じることができます。」とおっしゃいます。
お母様のお部屋の向いにあるのがバスルームです。タップリ取ったスペースに、ガラス使いでさらに開放感が増しています。大きな窓からベランダの緑を眺めながらのバスタイムが楽しめる、寛ぎのスペースになっています。
礒崎邸のベランダにはブナの丸太が積み上げられています。「薪ストーブの燃料です。丸太で取り寄せた物を割って薪にします。このお蔭でスローライフを楽しんでいます。」と笑いながらおっしゃる礒崎さん。「薪ストーブの温もりは、柔らかく身体を包み込んでくれます。この前に居ると気持ちも安らぎます。」とお母様です。家族全員でこの家の暮らしを大事にし、楽しんでいる様子が伺えます。
「ル・シェル」を訪れると、チョット探検してみたくなります。ロートアイアンのフェンスが美しい吹き抜け、地下から聞こえてくる水音、屋根から覗き込んでいる様子の飾り猫、何かが見つかりそうな気がします。日常の喧騒を忘れさせてくれるゆったりとした時間が流れる、「礒崎邸(ル・シェル)」でした。