2017.02.02
本音の時代
米国はトランプ大統領が連発している大量の大統領令によって大混乱の様相です。アメリカの混乱は世界の混乱でもあり、まさに全世界がトランプ大統領の毎日の動向、言動に注視していると思われます。日本は(落ち着いて)静観の構えで行くと思いますが、混乱や混沌の中にこそ大いなるチャンスが潜んでいると思います。その好機を掴めるかどうか・・・。いよいよ不安と期待の入り混じった2017年がスタートです。今年は日本にとっても米国にとっても、そして世界にとっても非常に大きな分水嶺の年に成ると思います。
それはトランプ大統領の出現により、今までずっと眠っていた「本音」「本心」という巨大なエネルギーが、あらゆる国や企業や個人の中から堰を切ったように溢れ出すのではないかと思うからです。そういう意味では、全く予測不能な時代が始まったと言えます。お互いが自分の本音、本心、都合を優先させて行くという実に怖い時代です。今までの常識や想定、歯止めも効かなく成って行くのでしょう。このようにして不確定要素がどんどん増えて行けば、あらゆる予測も当たらなく成って来ると思います。そのような時代は、とにかく本質的な部分に意識を向け、日々「1mmの前進」を続けて行くことしか無いと考えます。
けれどもその一方では、その国、その企業、その個人の本当の考え方が解る(解ってしまう)時代に成る訳で、良い考えの国や企業や個人にとっては、何も心配は無く、むしろやっと光の当たる機会に恵まれて来るのではないかと思います。逆に、悪い考え方の国や企業や個人は、その正体が白日の下に晒されることに成るでしょう。そういう意味においては、確かに怖い時代であることに間違い無いのですが、日本の立ち位置は決して悪くは無いと思います。未だに様々な問題が山積していますが、それでも今の日本は(他国に比べれば)清らかな国柄を持っているはずです。先ずはその現状に対し、素直に感謝することが一番大事だと思います。その総和の力が日本をさらに底上げして行くと信じます。
国内では、大相撲の稀勢の里が横綱に昇進し、1998年の若乃花以来、19年ぶりの日本出身横綱が誕生しました(日本人横綱不在期間としては14年)。そのニュースを聞いた時、十数年もの間、日本人横綱が不在だったことにあらためて気が付きました。同時にその十数年間と日本の苦境の十数年間との関連性を考えました。今に成って思い出すのは、あの2011年の年明け、大相撲の八百長問題が発覚、その年の春場所開催の中止、伊勢神宮奉納相撲の中止・・・その直後の東日本大震災です。
日本の国技である大相撲は(所謂)スポーツではなく「神事」とされています。横綱になる力士には(その地位に相応しい)品格が要求され、神の依り代として見なされます。よって稀勢の里は、「横綱の名に恥じぬよう精進いたします」と述べたのでしょう。日本人横綱が不在だった日本、神事を止めてしまった日本・・・此処に日本の苦境の影のひとかけらが見えたような気がします。まだその実力や勝負強さに対する不安要素はある様ですが、2017年の年初に横綱稀勢の里が誕生して、此処に小さな光明が射して来たと思います。これが日本の気勢が上がる道につながって行けばと期待します。
もし品格と云う言葉で測るとしたら、今の日米対決は日本の勝ちでしょう。まるでコインの裏表のような両極端の関係です。でもなぜかこの陰と陽の組み合わせが不思議な相性を生み出しているような気もします。かつては敵国同士でありながら、今や(良くも悪くも)お互いに切っても切れない関係性を持ち、重大な何かを補完し合っている様に感じます。
戦後の世界は、何と言ってもアメリカの時代でした。けれども日本という国が存在しなければ、アメリカの発展も無かったはずです。トランプ大統領が「アメリカ・ファースト」に徹し、世界の盟主の座から降りるのであれば、世界の基軸が(今までの)物金から品格へと移行するのではないでしょうか。それは日米の攻守交替です。二国の関係は(表向きは変わらなくとも)日本の品格が米国を支える時代に成ると思います。それは同時に世界を支える道です。私たち日本人の責任が重大に成って来ました。
※映画「沈黙-サイレンス」
先日、妻と映画「沈黙-サイレンス」を観に行きました。原作は遠藤周作、監督は巨匠マーティン・スコセッシですから、大いに興味が湧きます。江戸時代初期のキリシタンへの弾圧をポルトガル人宣教師の目から見た物語で、非常に重苦しく、深く考えさせられるテーマでした。遠藤周作自身、家がカトリックであり、カトリックの洗礼を受けている為、キリシタン側の苦しい思いがひしひしと伝わりました。同時に「日本にキリスト教を入れない」とする徳川幕府の毅然とした態度の意味をも考える機会に成りました。そして時代は流れ、現在は難民問題が世界的な問題と成っています。難民を受け入れるべきかどうか。此処にまた大きな歴史的な分水嶺がやって来ています。