社長ブログ

見える世界と見えない世界

今月は米国大統領にトランプ氏が決まり、いろいろな意味で衝撃の走ったひと月でした。国内でも博多の道路陥没という(前代未聞の)大事故が発生しましたが、幸いにして怪我人はゼロ(更には)たった一週間での完全復旧と、その対応力の凄さに素直に驚きました。日本は確かにいろいろな問題がありますが、なんとかして乗り越えられるパワーを持っていると感じます。逆に言うと今、表に現れて来ている課題の1つ1つに対して(隠さずに)誠実に対応さえして行けば、きっと道は拓けて来ると思います。
豊洲の盛り土問題にしても、東京オリンピックの多額な開催費用にしても、所謂「ブラックボックス」を破壊したことで、(確かに)一時的な大トラブルの発生中ではありますが、そこへ「光」を当てたことによって、きっと物事は(思い掛けない)良い方向へ収斂して行くと思います。結果として、「見えない部分を明らかにして良かった!」と成ると思います。その答えが見えて来るまでの間は苦しいですが、きっと時間が解決してくれると信じます。
盛り土の問題、道路陥没の問題、そして(少し前の)傾斜マンションの問題等は全て、「目には見えない地下(基礎)」の由来する事象でした。私たちはこうして(目には見えない)反対側へと光を当てることで(もちろん様々な不都合が生じますが)、それによって大いなる飛躍への一歩が発生するのではないかと期待します。米国もトランプ氏のような破壊力のある異端が現れたことで、今まで抑え込まれていた(隠されていた)鬱屈したエネルギーがきっと表面に出て来るのでしょう。それはそれで(今までの)体制側にとっては大変困ったことかも知れませんが、飛躍へのために必要なプロセスになると思います。
トランプ勝利の一報を聞いた時は、ある種の衝撃と共に、今後の日米関係に対する不安と恐れが走りましたが、その直後、真っ先に日本の首相が面談し、個人的な人間関係を結んだことで、先ずはほっと、安心感が出てきました。今後の防衛に関することも、日本にとっては、真剣かつ現実的に「国(国民)を守ること」を考えられる良い機会になるかも知れません。TPPの問題、ロシアとの関係構築等、当面の様々な国際的な課題がありますが、その中できっと日本が主導権を握る可能性を感じます。本当に何か(危機)が起きた時の日本の対応力、団結力は、圧倒的と思うからです。
国内経済も、2020年の東京オリンピック後への不安もありますが、むしろオリンピック以後、本当の日本の隆盛が始まるような気もします。地球上にこんなに安全で、安心で、優しくて、思いやりがあって、四季折々の豊かな自然がある国が他にあるだろうか・・・と、世界が知る機会と成れば、2020年以後からの観光立国への道が拓けて行きます。都会も田舎も、文化も歴史も、そして何よりも人間性そのものが観光資源です。
結局、全ての物事には「見える面」と「見えない面」があり、この「見えない面」こそが大事であるという「物の道理」が、この世界を貫く軸に成ったのだと思います。見えない基礎(工事)がいい加減であれば、その悪事は必ず表に出て来る時代です。でもその悪事が表に出たことによって、状況は(逆に)良い方向へ変わって行くはずです。
人間も同様で、「見える面」の前に「見えない面」、つまり「人間性」という基礎の部分への意識を持って、そこに光を当てて行く時代に成ったのではないでしょうか。目には見えない「人間性」のリーディング・カントリーが我が国日本だと思います。そのようなプライドを持って、21世紀を素晴らしい世紀にして行きたいと思います。何か・・・世界の流れが一変する気運を感じます。そこには危機感と期待感があります。この目で「歴史」を見てやろうと思います。
※ゴッホとゴーギャン展
2016_goghandgauguin_b.jpg
先日、妻と「ゴッホとゴーギャン展」を観に行きました。あまり絵には詳しくないので、ゴッホとゴーギャンが南仏アルルで共同生活をしていたことも知らず、ただ気楽に鑑賞したのですが、この二人の違いは、「目に見える世界」を描いたゴッホと、「目に見えない世界」を描いたゴーギャンとの対比でした。目に見えない世界までを描いたゴーギャンの絵は、とてもエキゾチックで、幻想的で、大変な迫力を感じました。一方ゴッホは、目に見える世界(風景や自画像)をそのまま描いているのですが、私たち一般人の目に映る普通の風景とは何か違っていて、全ての光や色や形が(渦の様に)グルグルと揺れていました。
ゴーギャンの場合は、(実際には)目の前に存在しない「何か」を絵の中に(意図的に)描いたのだと思います。でもゴッホの場合、「彼の眼には、本当に彼が描いた絵の様に(全てが揺れて)見えていたのではないか」とも言われています。だから「自分の眼に目えたものを、そのまま描いた」のは、確かにその通りだと。
芸術的な優劣は全く分かりませんが、ゴーギャンが長生きし、ゴッホが自死したことを考えると(生き方として)ゴーギャンの方が健全だったことが分かります。でももし(本当に)「ゴッホの眼には、全てが(彼が描いた絵の様に)グルグルと揺れて見えていた」としたら、正常な精神を保ち続けることは難しかったと思います。いずれにしても、見える世界と見えない世界の不思議なバランスが、芸術を生み、人生を生み、この世界を創っているのだと感じました。