2016.10.24
バッハ、ゴッホ、君の名は。
国際オリンピック委員会(IOC)会長のバッハ氏が来日し、小池都知事と会談を行いました。東京オリンピック開催に関わるコスト削減に積極的に協力して行くとの事です。オリンピック開催に関わるコスト削減は(東京大会のみならず)今後の大きな課題です。今回の2020年東京大会を機に開催国(開催地)の負担軽減への新たな道筋が生まれれば、これも1つの成果と成るでしょう。財政が豊かとされる東京都でさえも、オリンピック経費の負担が重い時代です。バッハ会長と小池都知事、そして日本政府が今後の新しいオリンピック概念を打ち出してくれることに期待します。
同時に、東京オリンピックや豊洲問題に関する闇(ブラックボックス)の部分の解明についても、決して手を緩めず、全てを明るみに照らし出して欲しいと思います。そう成れば、この潮流は東京から日本全体へ、そして世界へと広がって行くに違いありません。今、東京で起きている事が世界の雛形と成り、社会の浄化作業が始まるかも知れません。恥ずかしながら、先ずは東京から膿(生み)出しです。
ところでバッハ会長の名前ですが、(残念ながら)あの音楽の父ヨハン・セバスチャン・.バッハの血筋とは違う様です。バッハとは「小川」を語源とする、ドイツにはよくある苗字とのこと。東京都知事が「小池」ですので、小さい川と小さい池で、もしかしたら相性が良いのかも知れませんね。音楽家のバッハに対する私の(勝手な)イメージは、「超人的な知性」と「温かい人間性」と云うものです。実際はどうなのかは(もちろん)分かりませんが、バッハの音楽からはそのような印象を受けます。
「知性」という面では、まるで幾何学的と言うか、数学的と言うか、音楽が自然界に存在する数字の(冷徹な)組み立てで完璧に設計されているように感じるのです。それにも関わらず、響く音楽はとても温かくて、優しくて、おおらかで、ユーモアもあり、深く崇高です。「音楽とは数学だ」と誰かの評論で読んだ記憶がありますが、バッハの音楽を聴くとなんとなく分かります。
画家で言うと、ゴッホの絵も好きです。あのカラフルな色彩が細かくグニャグニャと揺らいで渦巻く描写は、一体どういうことなのでしょうか・・・。素人では全く理解できないのですが、そこには知性というよりも感覚(霊感)的な写実を感じます。バッハもゴッホも、自分自身のアンテナ(受信機)から得た「自然界や宇宙の実像(正体)」をそのまま写実したに過ぎないのかも知れません。もしそうであるならば、この世の中とは、バッハのような数学的な音が鳴り響く、ゴッホのような色彩が渦巻く、振動の世界なのかも知れません。
バッハの音楽もゴッホも絵も、まるで自らがキラキラと光を発している生き物のようです。このことを「自灯明」と言うのでしょうか・・・。IOCのバッハ氏の名前から話が脱線してしまいましたが、あらゆる問題や課題に対して、常に自らが灯を燈し(光となり)、まわりを明るくして行ける存在になって行きたいと思いました。宮沢賢治の言う「(わたくしという現象は)因果交流電燈のひとつの青い照明です」も、そのような意味なのかも知れません。政治家も経営者も、そのひとつの青い照明として、まわりをもっと明るくして行かねばなりません。その光の渦が大きく成れば、闇に光が当たって行くでしょう。
※映画「君の名は。」
話題の映画「君の名は。」を妻と観に行きました。とても良質で感動的な映画でした。美しいアニメであること、東京の街の描写が素晴らしいこと、音楽が若者に人気のグループであること等がヒットの理由と言われていますが、それと共に、①魂の移動②時空の移動③宇宙的視座という3つの要因もあるのではないかと感じました。
①の「魂の移動」とは、主人公の男の子と女の子の心が入れ替わるという設定のことです。肉体と精神は別々のもので、魂は肉体を離れて飛んで行くことが出来る。そういう概念が見えます。②の「時空の移動」とは、お互いに時間と空間を移動することです。この①と②は、既に大林宜彦監督の「転校生」や「時をかける少女」をはじめ、広く様々な作品の主題になっています。③の「宇宙的視座」は、彗星という宇宙からの飛来物が大きな役割を果たしていることですが、これは自然、宇宙、もっと言えば神(天)の象徴のようです。物語の中には、神社、巫女、口噛み酒(はじめて知りました)、この世とあの世の境界、そして糸が出てきましたが、これらは日本の神事をイメージさせます。糸は、縦糸と横糸とが交じり合って宇宙を創造すると言われています。
総評としては、若者向けの軽快なアニメで、作品としての評価は(自分的には)まずまずでしたが、それ以上に、この映画には若者たちの(無意識の)深層心理に訴える「何か大切なもの」が内在しているように感じました。それは(要するに)目には見えない世界の存在感(リアリティー)です。つまり、この世の中の実像(正体)が違和感なく表現されているように感じたのです。魂、宇宙、そして生きることの素晴らしさ。そういうことを真剣に考えられる時代になって来たのでしょう。それはとても素晴らしいことです。同じく東宝の「シン・ゴジラ」は、これから日本を襲うであろう危機への警鐘を果たし、この「君の名は。」の方は、若者の意識の目覚めを喚起しつつあります。映画って本当に凄いです。
2016.10.20
創立63周年と「丸二品質」への道
2週間程前の10月8日は丸二の創立記念日で、おかげさまで今年で満63周年と成りました。これもひとえに全てのお客様、地域の皆様、関係各位の皆様のおかげと心から感謝の思いでいっぱいです。小さい会社ながらも、様々な新しい取り組みに挑戦し続けている日々ですが、会社の成長と共に社員さん一人ひとりの人間的な成長もとても嬉しく感じています。
今、社内では「丸二品質」という合言葉の下で、技術・現場・仕事のあらゆる品質基準を高めて行く運動を行っていますが、その「丸二品質」の2つの視点が「心」と「技」です。「技」とは文字通り、技術であり、具体的な建築に関わる品質を高めて行くことです。けれどもその「技」と共に重要なのが、私たち一人ひとりの「心」「人柄」「人間性」ではないかと考えております。その1つの現れとして、(実は)私たちは多くの素晴らしいアスリート達から学んでいることがあります。
テレビでオリンピックやプロ野球等の中継を見ながら、いつも目が行ってしまうのは、日本の素晴らしい選手ほど自分自身のプレーするフィールド(グランド)への「礼」を行っている姿です。これは日本人固有の礼節や武士道の所作の1つであり、(もっと言えば)森羅万象への感謝という日本神道的な精神が隠されている様に思います。もちろん、実際に礼をする選手もいれば、心中で言葉を発している選手もいることでしょう。要は、自分自身が働く場(=聖地)に礼が出来ないようでは、本物のトップクラスには成れないということです。そのようにして丸二も、現場監督が現場への礼を行える建設会社に成って行こうと決意したのです。
礼の旧字体は「禮」というとても素晴らしい字で、神様(示)への豊かなお供え物の意味だそうです。まさに「天に生かされている」という深い感謝の念そのものです。このような天(お天道さま)に対する日々の感謝の意識こそが、(きっと)その人を最高のステージへと引き上げてくれるのでしょう。そして、聖地での最高のパフォーマンス(仕事、品質)を実現させてくれるのでしょう。丸二にとってのフィールド(グランド)はまさに現場です。私たちの現場への「禮」の意識が高まることで、最高の品質が実現できる・・・そう信じ、私たちの心の根幹に「禮」を置いて行きたいと思います。
同時に今、私たち丸二の現場では、「標語看板」を掲げています。これは、私たちが社内で使用している(ある種の)「合言葉」をそのままプリントした看板なのですが、例えば、「日々、1mmの前進」「良い縁、良い建築」「縁を結び、縁を繋ぐ」「正直、素直、謙虚」「現場は心の映し鏡」「迷ったら良心に問う」等があります。この標語(合言葉)を各現場にて(あえて)標榜することで、その現場で働く人々の意識に向けて、良い影響を与えて行けるのではないかと考えております。
もし丸二の現場を見掛けましたら、ぜひ「標語看板」を見つけてください。そこに書かれている言葉を胸に置いて、みんなで一生懸命がんばっております。この「標語看板」のバリエーションはこれからどんどん増えて行きますが、その言葉に恥じない仕事を行って参りたいと思います。こうして今後も丸二の道を歩んで行きますので、何卒よろしくお願いいたします。ありがとうございます。