2015.07.25
光を観る
梅雨が明け、今年もまた暑い夏がやって来ました。この時期の地鎮祭は(当然)炎天下や台風のケースがあるのですが、幸いここ最近の地鎮祭では、祭儀の開始と同時に、(炎天下にも関わらず)涼しい風が吹き始め、閑静な住宅街の中で小鳥の鳴き声が響き渡ったり、朝方からの雨が止んで、急に晴れ間が広がったりと、まさに「天の気」を感じさせるような(静かなる)経験をさせていただきました。天地(あめつち)の偉大さとは、決して、遠い山々や海や森だけに在るのではなく、この都会の日々の生活の中にも在るのだと、あらためて実感します。「天の気」と「地の気」を肌で感じられる瞬間が、いつも、ここに、在ります。
確かに地鎮祭には儀式(=形式)と云う面もあると思います。けれども、その土地の神様に対して、心を込めて御挨拶を行う「礼の精神」と知れば、実はとても大切な行為であることが解かります。地鎮祭の最中に感じられる日の光、雨の音、動く雲、そよぐ風、鳥や虫の声、街の喧騒、車の音、子ども達の声の中には、何か普段とは違う意味合いを感じます(まるで誰かの声の様です)。
建設業とはまさに「礼」に始まる仕事です。この無為自然な土(地球)の上に、人為的な創造物を建てさせていただくに当たり、「礼」を尽くす。その思いをもって建設作業を行うこと自体が(ある種の)「神事」ではないかとすら感じます。あらためて、お客様のお蔭で地鎮祭という場を経験させていただけることに、心から深く感謝をいたします。
このようにして考えて見ると、建設業とはまさに「人を造る仕事」であると、意を強くするのです。確かな技術と共に、「礼の精神」の宿る人を育てること。とても地道であり、土(泥)まみれになる仕事ですが、(だからこそ)その中に「光を観る」ことが出来ます。日々、炎天下(あるいは極寒)の中で、静かに、コツコツと、建物を造り続ける人々の中で放射する美しい光を・・・。日々の暮らしや仕事中に存在する「観光」が、今ここに在ります。
丸二では毎年、安全衛生大会を行っていますが、その際には、優秀な協力会社の表彰と共に、素晴らしい職人の方々への表彰も行っています。光を当てれば反射する。その光は(更に)土や建物へと放射される。全ては「礼」の文化であり、古き良き日本人の心の記憶なのでしょう。日本の町工場や日本の建設現場には、今も大和(ヤマト)の魂が息づいていると感じます。この大切な文化を守って行くことも、私たち建設会社の役割なのでしょう。
さて最近、古い日本の映画を観ることがあるのですが、その中での私のお気に入りの監督は、溝口健二です。日本映画と云えば、普通は黒澤明あるいは小津安二郎が有名ですが、私の場合は溝口健二、次に成瀬巳喜男です。もちろん鑑賞した作品の本数がまだ少ないので、また変わっていくかも知れませんが・・・。けれども、溝口健二の作品の中にある独特の空気感は、古来の日本人が持つ霊性、幻想性、ナイーブな精神性を感じさせるものであり、常に人間を俯瞰する目と超越した視線を感じさせます。
私が観たのは「雨月物語(1953)」「山椒大夫(1954)」「近松物語(1954)」「赤線地帯(1956)」の(戦後に撮られた)4本で、これから観る予定の作品は、「祇園の姉妹(1936)」「残菊物語(1939)」という戦前から戦時中に掛けての作品です。ちょうどその時代のドイツやイタリアでは、大指揮者トスカニーニやフルトヴェングラーが歴史的な録音を残しています。この最も苦しく、最も悲惨な時代の中にて、後世に残る大芸術が生まれていたことを思うと、あらためて「文化」とは不思議なものだと感じます。
溝口健二の作品には、湖や海、そして舟が出て来ます。その幻想的な美しさの背後に横たわる恐ろしさは、日本人の持つ神秘性と結びついています。理屈や論理だけでは決して分からない「目には見えない世界」の映像化。誰の心の中にも宿っているであろう(美しくも儚い)光の粒を、動くフィルムに念写したかの様な異様なる映像美です。その光の粒が1つの固まりと成って、静かな湖面を移動する舟に乗って、ゆっくりと霧の中へと進んで行く・・・。これが「生きる」ということなのでしょうか。黒澤明監督の映画「生きる」は、「動」の物語でしたが、溝口健二の作品は、「静」の物語であり、人間の根源的な「生死」の物語が「静止(=微速前進)」している世界の様に写ります。永遠に湖面を移動し続ける舟に乗って、私たちは生きているのかも知れません。
人は、目には見えない「光」を心の目で「観」て、それを作品に投影しようとします。音楽も、映画も、そして建築も・・・。もしそうであるならば、「光を観る」ことのできる人を造ることが一番大切なことなのでしょう。丸二は「人を造る建設会社」と成り、この日々の暮らしの中に、たくさんの光を集めた建物を造り続けたいと思います。日の光と土と雨に感謝をして・・・。ありがとうございます。
2015.07.13
生きて行く道の大肯定
6月末から7月を迎え、国内では新幹線内の焼身自殺、国外ではギリシャのデフォルト危機が発生しました。個人的な問題も国家的な問題も、「精神(こころ)と経済(お金)」という視点で見れば、人類すべての共通の課題なのでしょう。その後の「なでしこジャパン」のワールドカップ準優勝で(多少)心が和みましたが、今度は中国株の一時的な急落が発生し、今までの大きな時代の潮流に変化が訪れた様な気がします。もちろん日本経済もその影響を受けると思いますが、それでも他国の状況に比べれば、本当に恵まれている状態に在ることは変わりません。否むしろ、世界情勢が厳しく成れば成るほど(相対的に)安心で安全な日本に対して、人や投資が集まって来るはずです。だから、ここがチャンスだと思います。流れが変わる時こそ、千載一遇の時。現象面に惑わされず、本質面を観つめる時です。
1999年製作のベルギー・フランス映画「ロゼッタ」をDVDで観ました。カンヌ国際映画祭でパルム・ドールと主演女優賞を受賞した映画ですが、非常に貧しい環境に暮らす一人の娘(ロゼッタ)が、なりふり構わず、今日一日を生きる為に、懸命に職を探す物語です。彼女の夢はただ「まっとうな生活」をすること。普通に働き、普通に食べ、普通に寝ること。彼女にとって「生活」とは「今日の生命」そのものであり、その生活との最後の決別の淵に、微かな希望の光が予感されます。私たち日本人は、あの東日本大震災を経て、日々生きている(生かされている)ことへの喜びと感謝を実感しました。その時の気持ちを忘れないで、自分自身の生命を(もっと)大切にして、「それでも恵まれていることに気づき、今日に感謝し、今日を楽しむ」道を行きたいものです。ただ現実には、「今日に感謝し、今日を楽しむ」道を歩めない物語(人生)が多いです。最近、夏目漱石の「こころ」を読み直しましたが、この小説もまた、人間の持つどうしようもない「こころ」の闇に焦点を合わせた、ひとつの悲しき物語です。
夏目漱石の「こころ」には(何かよく分からないけれども)得体の知れない部分が在るような気がしていました。今回は(同時に)いくつかの解説本にも目を通したのですが、この小説(=手記)の書き手は「私」であり、その対象は「先生」です。そして、最後の「先生と遺書」の書き手は「先生」です。つまり、この物語は全て「私」と「先生」の主観だけで書かれた世界と成ります。主観とは、あくまで本人が「そう感じた」「そう思った」ことであり、必ずしも本当の真実・事実との整合性は問われません。場合によっては、思い違いがあったり、虚偽があったり、妄想があったり、誤解もあるでしょう。あるいは、あえて書かなかった事もあると思います。そのような前提で「こころ」を読んでみると、また更に得体の知れない想像が生まれて来ます。
ある解説には、先生の親友であるKが命を絶ったのは、先生にお嬢さんを奪われたからではなく、道を外してしまった自らの生き方への惜別であり、その実行のきっかけ(証拠)として、たまたま(その晩、隣の部屋の)先生が西枕で寝ている姿を見たことを挙げています。あるいは、先生とお嬢さんとの結婚を知る数日前に、そもそもKはそれを実行する意思があったという解説もありました(先生の部屋とKの部屋の間の襖の僅かな開きに意味があると)。しかしながら先生自身は、(Kのお嬢さんへの思いを知りながら)Kに黙ってお嬢さんとの結婚を決めてしまったことが、Kの運命につながったと信じているようです。その罪の意識が、今度は自分自身の人生への惜別と成ります。でも本当のことは、分かりません。
また、どうしても不可解なのは、先生と結婚したお嬢さん(静)のことです。静は、先生から結婚の申し入れを特に異論なく(喜んで)受け入れます。けれども、その直前まで、Kの部屋でKと二人切りで楽しそうにおしゃべりをして、二人で外を歩いたりしています。先生はその姿を見たことで焦り、静の母親(奥さん)に「お嬢さんをください」と申し込みます。奥さんも、その申し出をその場で了解します。このような流れを見ると、静も奥様も、Kの静への気持ちを知りながら(あるいは利用しながら)、先生との結婚を望んでいたように感じられます。そのような経緯があってKの死と成れば、静も(先生と同様の)ある種の罪の意識を持ったはずです。けれども、この手記における(その後の)静の人生の中には、全く罪の意識への影は見受けられず、さらには先生も自らの罪を妻には話さぬようにと釘を刺します。それは妻にも罪の意識を共有させたくないという愛情の現れだと思うのです。けれども本当はそうではなく、「自分は罪を償ったが、君はどうする」という意志表示の反転とも受け取れます。結局、先生は遺書を青年(私)に託し、後に青年(私)の手記(小説「こころ」)によって、全てが公開されたのです。
ところで、この手記を書いている時点の「私」は、一体どこで何をしているのでしょう。そしてなぜ手記を書いているのでしょうか。一説によると、先生の死後、「私」は未亡人となった静と結婚し、今は子どもがいる状態であるとする解説があります。いろいろな文脈から、そう読み取れるそうです。仮にそうだとすると、先生亡き後、妻は青年と再婚し、平穏な日々を暮らしているはずです。青年(私)にとっても、手記を書き、先生の遺書を公開する理由はないはずです。ところがある解説では、この手記は、青年である「私」の遺書ではないかとするものがあります。「こころ」とは、静という女性を巡って、K、先生、私が自決する物語であると。この説はとても飛躍し過ぎていると思いましたが、先生から「静には黙っていて欲しい」という約束を破ろうとする「私」の心境を思うと、Kや先生とまた同じ、「私」自身の辞世の物語のような気もします。
小説「こころ」は、当初は3つの物語で構成される予定だったそうです。その最初の物語が「先生の遺書」というタイトルであり、この「先生と遺書」が(連載等の都合により)あまりにも長くなってしまい、結局「先生の遺書」がそのまま「こころ」に成ったそうです。夏目漱石は、人間の持つ「こころ」の恐ろしさや弱さを、いくつかのエピソードを通じて描こうとしたのでしょう。ところが、最初の「先生と遺書」の物語のみで、その全てが完結してしまいました。「こころ」の弱さやエゴあるいは罪悪感は、現代を生きる全ての人々にとっても共通のテーマです。幸い、小説「こころ」には(このようなテーマを扱っているのにも関わらず)変な暗さや重苦しさは在りません。否むしろ、不思議な爽快さに満ちています。それは漱石自身が、この暗きテーマと相反する「生命力」を描いているからではないでしょうか。もっと言えば、生きる苦しみを超えた先に在る「生きる力」の崇高さ(こそ)を想起させているからではないでしょうか。漱石はこの悲しき物語を通じ、「だからこそ」生きて行く道の大肯定を論じているような気がします。Kも先生も私も、静のように胸を張って生きて行けば良い。「生きる」こと自体に価値がある。それが既に贖罪である。「こころ」という小説には、なぜか「反転」の力を感じます。そう思うと、この物語は強き女性(奥様、静)の物語であり、不思議な寓話なのかも知れません。
さて、このようにして小説「こころ」への個人的な感想を書いて来ましたが、(実は)この物語のもう1つの主役は、先生とKが下宿した(奥さんとお嬢さんの)家(間取り)です。この物語のクライマックスは、全てこの家の中で起きています。ある解説書には、(想像される)この家の見取り図(間取り)が掲載されていました。先生の部屋とKの部屋との位置関係や動線、あるいは奥様の部屋の位置などが、もしその図の様に成っていなければ、Kの事件はきっと起きなかったのでしょう。きっと漱石の頭の中には、家の見取り図が明確に在ったはずです。人と人との位置関係や距離とは本当に怖いものです。当然、住まいの間取りや配置は、そこで生活をする人々の様々な人間模様へと転写します。よって、そこに暮らす人々に良き転写を起こすことも、私たち建築業の大きな役割です。同時に、いかなる環境においても強き「こころ」を持つこと。ここが恵まれている今の日本の(逆説的な)弱点かも知れません。