社長ブログ

「経営革新計画」の承認

このたび丸二は、東京都の審査による「経営革新計画」の承認を受けることができました。「経営革新計画」とは、国(中小企業庁)が、経営革新に積極的に取り組む企業を特別に支援するためのもので、その対象としては、「新たな取組み」によって企業の事業活動の向上に大きく貢献する革新的事業となっています。この「経営革新計画」の承認を受けることは、経営理念の社員との共有化や経営目標の明確化にも寄与します。
ポイントは、「新たな事業活動」ということで、丸二の場合は、「建築医学に基づく無料診断システム開発による経営革新」というテーマで申請し、おかげさまで今年の1月25日付けで、東京都からの承認を受けました。これは、丸二が現在取り組んでいる「建築医学」という技術を、よりシンプルに分かりやすくシステム化し、各ご家庭の住環境を数値で評価するもので、このような診断サービスを無料で提供しようとするものです。
例えば、室内の明るさ、色、香り、騒音、温度、ホルムアルデヒドの量などの測定を行い、それが人間と脳と心と体に与える影響度を計算し、その結果と提案をビジュアルな診断シートでご提供するような中身になります。このような診断を受けることで、自分自身の住まいの環境が、良好なのか、不快なのか、を客観的に掴むことができ、またそれが家族の生活にどのような影響を与えているのかを理解することで、具体的な改善策も出てきます。
住環境が人に与える影響は、とても大きなものがあります。住まいと病気との因果関係を、いま多くの医療関係の方々が研究を行っており、それらが「建築医学」として体系化されつつあります。その根本的思想は、現在の医学のような「病気を治す」という発想ではなく、その逆で、「病気にならない(なりにくい)環境をつくる」・・・つまり「予防医学」「未病医学」という捉え方なのです。
住環境を整えることで、人間の脳や心や体は、無意識に反応し、良い方向性に向かいます。それならば、そのような良い影響を受けられる環境を住まいにインストールしてはどうかという発想で、予防医学と建築が結びついたのです。この考え方を普及啓蒙することは、病気になる原因を少なくし、病気になる人を少なくし、国の医療費を削減することに繋がり、人々が健康で元気で長寿になれる社会をつくることに結びつくと思います。
この「建築医学に基づく無料診断システム開発による経営革新」というテーマは、そのような社会をつくるためのひとつの地道な取り組みであり、これから丸二が大きな夢を持って取り組んでいくものです。今後、具体的なシステム開発を進めていきますので、適時ご紹介をしてまいります。
※音楽が環境を変える
住環境の改善の中で、「音楽」の役割も大きいと言われています。音楽は音の波動であり、その空間の空気や物体を、物理的に振動させていますので、明らかに空間に作用しています。良い音楽を聴くことは、自分自身の心と体を心地よく振動させるのと同時に、その住空間にある空気、水、植物、家具、建築素材も振動させていることになるのです。
ですので、もし家を留守にする時、小さな音で音楽を流したままにしておくと、家に帰った時に、とても気持ち良く感じます。普通であれば、誰もいない家に帰ると、空気が死んでいる・・・、淀んでいる・・・ような感じがして、なんとなく嫌ですよね。音楽を流しておくと、それが無くなります。良い音楽、住環境が喜ぶ音楽を聴いて、自分自身だけでなく、住まいも元気にしてみませんか?
今年の5月から、そのような住まい環境についての様々なお話を、お茶を飲みながら気楽にやりましょうということで、「(仮称)風水生活セミナー(茶話会)」を始める予定です。風水と言うと、占い的に聞こえてしまいますが、本当は環境を整えるための調整技術で、とても面白いものです。このセミナーにつきましても、あらためてお知らせいたします。
セル.bmp
ライヴ・イン・東京1970(モーツァルト:交響曲第40番、シベリウス:交響曲第2番、他) 
セル&クリーヴランド管
さて、良い音楽の代表選手と言えば、モーツァルトです。私が好きなモーツァルトのCDはこれ。以前紹介したCDと同様、これも日本での来日公演のライブです。交響曲第40番ト短調は、モーツァルトの代表的な名曲で、特に「ト短調」という調性は、モーツァルトの音楽の本質を衝いた「悲しみは疾走する。涙は追いつかない」という表現を最も感じさせるものです。軽快で、この世のものとは思えないくらい美しいのに・・・なぜか悲しい。そんな演奏です。

加子母森林組合が「森林認証」を取得

今日は、ブログをもうひとつ。丸二が経済産業省の「農商工連携事業」の認定を受けて進めている「加子母ひのきの産地直送住宅」ですが、おかげさまで多くのお問い合わせをいただくようになりました。やはり本物の木の家に暮らしたいという方々は多く、日本人の自然志向というDNAは、絶対に無くならないものだと感じています。むしろ、エコ・環境というトレンドの変化に敏感に反応して、いま出来うる最善の住環境を造りたいというお客様が増えつつあると感じます。
「加子母ひのきの産地直送住宅」のコンセプトは、実際に岐阜県・加子母に行き、そこで森林体験を通じて、山の実際を理解するところから始まります。日本は森林の国であること・・・、木を間伐して、森に光を入れていかないと、山が荒れていくこと・・・、今の日本の木材自給率は20%で、80%が外国産であること・・・、国産材が使われず、日本の美しい森が荒れ始めていること・・・。このような現状を認識して、国産の天然木を使うことが、いかに日本と地球の環境を守ることにつながるかを学びます。
また、「地産地消」という考え方から言っても、日本人が日本の木を使い、同時に植林をして、森を持続・循環させていくことも大切です。日本人には、やはり日本の木が一番ですね。これが、自然の恩恵に感謝して、再び自然界に還元していく道理ではないかと考えます。また、加子母ひのきは、伊勢神宮の御用材としても有名で、日本人の精神性のルーツでもあります。よって、加子母ひのきで住環境を造ることは、日本の森を守ると同時に、家族の心と体を護ることにもつながります。
さて、その加子母ひのきの産地である「加子母森林組合」が、このたび「緑の循環」認証会議(SGEC)の森林認証(NFEA-035)を取得いたしました。これは、日本の森林・林業の活性化に向け活動している公益法人である「社団法人:全国林業改良普及協会」が審査したもので、森林が適正に管理されていることを中立的な第三者が客観的に評価し、社会にその価値を認めてもらう制度です。持続可能な森林管理を通じて、森林環境の保全と循環型社会の形成に貢献することを目的とする「緑の循環」認証会議に認められたということは、とても重要です。
この「緑の循環」には、7つの基準があります。①認証対象森林の明示およびその管理方針の確定②生物多様性の保全③土壌および水資源の保全と維持④森林生態系の生産力および健全性の維持⑤持続的森林経営のための法的、制度的枠組み⑥社会・経済的便益の維持および増進⑦モニタリングと情報公開・・・このような厳しい条件をクリアーしないと認定を受けることが出来ません。まさに、「正直・安心・安全」の時代に入りました。
木造住宅の構造材・内装材、鉄筋コンクリート造や鉄骨造の内装材に、加子母ひのきを活用してください。それは、住環境に優しさと温かみと精神性を与え、家族を護り、日本の森を守り、地球環境を救うことに結びつきます。

賃貸併用住宅の時代

住宅着工件数が80万戸まで落ち、また今後の景気回復への見通しも見えにくい経済環境の中ですが、「家を建て替えて、賃貸経営もしたい」という潜在的なニーズはむしろ高まりつつあるように感じています。先行きが見えない状況の中だからこそ、安定的かつ持続的に家計を助ける収入(=家賃収入)の確保というテーマが重要になってきたからです。家の建て替えと収入の確保を両立させる「賃貸併用住宅」という選択肢が広がりを見せています。
同時に、最近流行の「おそうじ風水」のような、住まいの環境美化に対する問題意識も芽生え始め、キレイで快適な住環境にしないと、経済的自由を得にくいという統計学的な現実を知ることが、(無意識にですが)住まいのリフォームや建て替えニーズを後押ししていると思います。そう考えると、先行き不透明な時代の中で、自らの経済力を高めることを目的とし、家の建て替えやリフォーム需要が喚起され、それが景気を刺激していくことにつながれば、世の中をさらに元気にするひとつの方向性が見えてくるのです。「賃貸併用住宅」には、個人の将来への不安を解消すると同時に、社会全体を明るくする力があると思います。
ただ問題は、「どのようにして建て替えればいいのだろう・・・」という中身です。賃貸併用住宅は、自分自身の住まいと賃貸部分をひとつの建物にする形態なので、構造的には鉄筋コンクリート造にし、音やプライバシーの問題に対応しなければなりません。また、将来に向かって永続的に入居者を確保するために、入居者が喜ぶ仕様・・・例えば床下収納がある、上下階の音がしない、デザイン性や間取りがいい、健康的で室内空気環境が気持ちいい、エコで省エネ効果が高い・・・等のメリットが大切です。加えて、メンテナンス費用の軽減も重要です。
そのように考えると、ルネス工法外断熱工法による「賃貸併用住宅」は、これからの時代、最もニーズに適した建築になるのではないでしょうか。「キレイで快適な住環境+家賃収入」が、自らの経済を助け、かつ社会貢献に役立つのであれば、これからの大きな選択肢のひとつになってくるでしょう。チェンジの時代にはチャンスがあります。建築は、これからが面白いです。

バンクーバー・オリンピック

バンクーバー・オリンピックが、もうすぐ閉会です。日本もなかなか金メダルには届かず、惜しい試合が多かったですね。でも、参加した選手たちにとって、楽しく有意義な経験であったのならば、それが一番良いことではないでしょうか。見ている側としては、つい日本の代表という意識で過度な応援をしてしまいますが、本人にとっては、ただ自分の力量を試す(あるいは発表する)ための一番大きな大会ということでしかなく、結果に対する評価は、本人やコーチ等の関係者だけの問題だと思います。まわりが誉めたり、非難する筋合いは、そもそも無いわけです。
根本的な問いは、スポーツで優劣を競うということが、本当に良いことなのかどうかということです。スポーツは、自分自身の健康や体力づくり、楽しみのためにあるので、そもそも他人と比較してどうこう言うものではありません。ただ、一生懸命続けていくためのひとつの糧として、あるいは勉強の場として、または同士や仲間をつくる場として、さまざまな大会があり、その大会を盛り上げるために、「順位を決めよう」というゲーム感覚を取り入れたのではないでしょうか。今は、そのお楽しみゲームの方が目的になってしまった・・・。例えは全く違いますが、何かのパーティーを開催する時に、場を盛り上げるためにビンゴゲームがあります。つまり、そのビンゴゲームに必死になっている状態が、今のオリンピックという感じです(ちょっと極端な表現ですが・・・)。つまり、滑稽なのです。
誰が一等賞を引こうと、そこで自身の最高のパフォーマンスを発表でき、本人がそのことに喜びを感じられれば、それでいいのではないかと思います。そして、(どこの国の選手であろうと)その素晴らしい姿を見て、私たち自身も、自分の生きている世界の中で、最高のパフォーマンスを実現しようと思うのです。特定の誰かや特定の国が勝つように必死に応援することは、その他の国が負けることを一心に願うことであり、世界の全体調和の精神性としては、最も乖離しているように感じます。順位付けは盛り上げるための一種のゲーム。真の目的は、世界の素晴らしい美とスポーツの競演です。
私が一番危惧するのは、世界の最高の選手たちが、「金メダルを取らなくてはいけない」という強迫観念に陥ってしまうことです。もし、取れなかった際に陥る・・・過度な責任感や虚無感。もし、取れた際に陥る・・・相手を倒してしまった罪悪感や人々から受ける妬み。このような思いを抱えたまま、その後の人生を幸福に生きていけるのだろうか・・・。自分の最高のパフォーマンスをして、たまたま結果的に金メダルを取ったとしても、その喜びは対戦相手があってのことで、共に得たもの。そのような、最後は人間としての意識の持ちようが問われているような気がします。
だから、メダルを取って狂喜乱舞する姿は、異様な風景と映ります。金メダルをいただいて、(逆に)申し訳ない位の気持ちが本当かもしれません。反省は、メダルの色では無く、自身のパフォーマンスの中身だけのはずです。それも本人だけの問題で、まわりには関係の無いことです。浅田真央選手が悔しがったのは、順位では無く、自身のフリーの演技の中身だったと思います。それが、選手の本当の気持ちだと思います。実は、うちの妻は、オリンピック等の戦いの場面は見たくないといって、すぐTVを消してしまいます。多分、そういう感性の方が、正しいのかもしれません(私は、やっぱり見てしまいますが・・・)。