2009.03.31
「気」の国、日本
WBCで日本代表が2連覇を達成でき、日本人として素直に嬉しいです。イチローが最後に大仕事をしたところを見ても、やはり「何か持ってる人は、本当に持っているんだな」と、逆に好調の時よりもハッキリ感じることができました。原監督も、巨人を指揮している時はあまり関心がありませんでしたが、WBCの監督としてトップレベルの選手たちを上手に使い、新しいタイプのリーダーなんだなぁと、感心しました。
原監督と言えば、高校野球の東海大相模の4番打者で、私が小学生で少年野球をやっていた頃からの国民的なアイドル(?)でしたし、それ以降も本当にず~っと表舞台にいる人ですから、やはり強運な星の下で生まれたんですね。巨人の4番時代は、なかなか思うような結果が出せず、ファンから厳しい評価を受けていた(ような気がする)ので、最近のペナントレースでの優勝や今回のWBC優勝は、世間を見返せたのではないでしょうか。厳しい勝負の世界で、なおかつ最高の舞台で、このように結果を出せるというのは、本当に選ばれた人である証拠だと思います。
WBCの後は、ワールドカップの予選があり、こちらも日本代表が勝ちましたが、サッカーの場合は世界一になるのは、まだまだ遠い夢のようです。野球はすでにWBC2連覇ですから、実際に世界一レベルと言っていい。日本人は、野球のように「静的なスポーツ+チームワーク」が馴染むのかなぁと、ふと考えます。サッカーは常に動いているので、身体能力が何よりも優先されると思いますが、野球の場合、実際に激しく動くのは(投手を除くと)試合中ほんの少しですし、意外と動きの静かなスポーツで、恐らく身体能力に加えて、何か別の資質が求められているのかもしれません。その資質こそが、日本人の強さなのか・・・。
今回のWBC連覇において、「チームワーク」という言葉が多く出ていました。「プロ」というと、つい「個人」をイメージしてしまいますが、イチローの不振をみんなでカバーしたというチームワークによって、勝利を勝ち取ったんですね。まさに「和」の国、日本です。全体を見渡して、自分自身の役割を見つけて、サポートし合う。サッカーの場合は、そういう日本人の良さを発揮する余地を与える暇なく、ゲームが突き進んでいくようなので、なかなか強くなれないのかなぁ。相撲にしても、柔道にしても、将棋にしても、囲碁にしても、間合いのような・・・お互いが対峙している「静」の時間が多い気がします。その間に、いろいろと考えたり、「気」を整えたりするのでしょう。だから・・・「気」が強いのが日本人で、「気」で勝負するスポーツに強いのが日本。勝手にそう決めました。
逆に「気」が弱まると、今のストレス社会では「うつ」になってしまいます。そもそも「気」が強いはずの日本人の気力が、最近落ちているとしたら、とても問題ですね。だから一日の内に、ほんの少しでいいから、静かな時間を持って、自分自身と向き合って、英気を養うことも大切なんでしょう。私の場合は、キャンドルの炎だけで風呂に入ると、何となくいい気分ですし、炎を見ていると脳波も調整されるので、一日の「あれやこれや」が、リセットされます。散歩でもいいし、CDを聴くのもいいですね。
「気」を高めて、強く生きていかなければいけない。だからこそ、日本がリーダーになる時代が来たと思います。
2009.03.23
意匠と構造
あらゆる物事には、必ず二面性(表と裏、陰と陽)があると言われています。例えば、WBCで盛り上がっている野球には、「攻撃と守備」という二つの要素がありますし、自然界にも、「昼と夜」や「天と地」等、相反する対象がバランスよく存在しています。会社も、「社長と社員」という二つの立場によって形づくられていますし、「思考と行動」という二つの要素によって、結果が出ます。株価のチャートも、「上昇と下降」が交互にやって来ます。
株価と言えば、麻生首相が、「株屋ってのは何となく信用されていない」などと発言したらしいですが、以前、株屋の一員だった私としては、とても不快です。株式の売買は、現在の資本主義の根本として、無くてはならない基本システムであり、これを否定するのは、どうかなと。様々な会社の株式をいつでも自由に売買できる取引市場があるからこそ、現在の信用経済は成り立っています。昨今の経済不況を招いたのは、株ではなく(もちろん株屋でもなく)、自由な市場に任せずに国が株式市場に介入したり、あるいは頭のいい人たちが、デリバティブやサブ・プライムローン等の複雑怪奇な金融工学商品を開発したからではないでしょうか。
さて、二面性に戻りますが、株も日々、陰線と陽線を出しながら、動いています。これが自然です。私が好きなクラシック音楽についても、この二面性があると思います。現在、様々なジャンルの音楽があって、とても素晴らしい曲もたくさんありますが、果たしてこれらが10年後、100年後まで残っているでしょうか。仮に残ったとしても、「懐かしい、思い出の・・・」という枕詞がついているのではないか。数百年後も、新しい録音が出るような曲は、本当に少ないと思います。
そう思うと、すでに数百年の間、演奏され、新しい録音が出ているクラシック音楽には、何か特別な要素があるのではないかと考えられます。その秘密は、曲の設計にあるのではないか。ところで建築の場合、設計は大きく二つに分かれます。「意匠設計と構造設計」です。意匠設計の方は、見た目のデザイン、配置、形状等ですから、ほとんどの方は理解できますし、気にします。でも、実際に施工をしていくためには、構造設計が無いと不可能です。姉歯事件は、この構造設計を偽装したわけですね。
建築は、この「意匠設計と構造設計」という二面性の両方を整えて、美しい建物を長く安全に持たせます。音楽も実はそうではないのかと。感動するメロディーやかっこいいフレーズ、素晴らしいハーモニー等の意匠設計が整っていても、音楽の構造設計に確固たる計算根拠やセオリーが無いと、一時的にヒットしても、長く持たないのではないかと。クラシック音楽の場合、良いか悪いかは別として、非常に難しい理屈や理論的な裏付け、セオリー、形式、様式の中で作曲されています(私にはよく分かりませんが・・・)。作曲するには、そういう理論や手法を知らないと不可能みたいです。
仮に、いいメロディーが閃いたとしても、それをどのように展開したり、反復、発展させていくかの「型」を知らないと。バッハの書いた曲の楽譜は、幾何学模様としても、見事なものらしいです。そこには何か、構造美のようなものがあるのでしょう。意匠は一般の人でも分かりやすいですが、構造は分かりにくい。そこが難しいところです。
さて、政治の中の政策にも同じようなことが言えないでしょうか。誰もが分かる意匠をいくら魅力的にしても、本当に構造設計として大丈夫なのか。例えば、今回の定額給付金についても、もらう側としては、もちろん嬉しいに決まっていますが、果たして政策としての構造設計上、本当に有効なのかどうか。メロディーラインはいいが、楽曲として成り立っているのか。そういうプロ的な視点があっての政策なのか。国民の多くが、この定額給付金に疑問符を出したのは、こういうことだったと思います。二面性の裏の部分こそが、プロフェショナルの出番ですし、本当に長く本物として残る部分だと思います。
経営の場合は、「技術と理念」ということになると思います。目に見える技術や商品に素晴らしい付加価値を持たせると同時に、その商品・技術を開発・採用した根底に流れている理念・考え方が一体どういうものなのか。この両方を磨き上げていくことが、商品や企業を長く継続させるポイントだと思います。私たちも、あらためて両面を見直して行きたいと思います。
2009.03.18
志と本物
今月28日から全国の高速道路で、ETCを搭載した普通車に限り、土日祝日は走行距離に関わらず上限1,000円になるとのこと。それでETCが売れに売れているんですね。ちなみに、わが家の愛車(緑色のトヨタ・イプサム!)には、まだETCは付いていません。あまり車に乗らないし、もし政権交代があって高速道路が無料化になったら、当然不要になるし、そんなことを考えていると、何となく気が進まないのです。
今回の1,000円化についても、業務のための大型トラック等が対象になれば(平日も)、流通コストが下がり、大きな景気対策になったのではと思います。もちろん、サンデー・ドライバーたちの増加で、地域観光には追い風になると思うので、それはそれでいいかと。でも・・・何でそんなにETCを売りたいのか、何でそんなに地デジに変えさせたいのか、いまひとつピンと来ないです。
ところで、環境志向のビジネス情報誌「オルタナ」が発行した「グリーン天職マガジン」が、全国書店で発売されました。この冊子は、環境や社会貢献への意識が高い企業(103社)だけを集めた採用情報誌で、企業の環境活動や社会貢献を問う学生や転職者に対する積極的な企業PRとなっています。
そして丸二も、その103社の中に入ることができました(オルタナさん、ありがとうございます!)。当社の場合は、ルネス(逆梁)工法、外断熱工法、建築医学等によって、建築を通じて「環境と健康」を守ることを大きなテーマにしているため、この冊子の趣旨とあったのではないかと思います。ぜひ、志ある方々が入社していただけると本当にありがたいです。
そう思うと、ETC等の普及のプロセスには、「志」よりも、まず先に「利」の存在を感じてしまいます。どうしてでしょうか・・・。この「グリーン天職マガジン」のような媒体を通じて、人々の意識が高まっていけば、もっと世の中に志高き本物の人物が増えていくと思います。そういう意味で、今の社会の変化はとても意義があるし面白く映ります。
本物と言えば、先日、「サラ・ブライトマン」のコンサートに行きました。何が「本物」かと言うと、「声」です。CDを聞くと、ものすごくうまかったり、声がキレイだったりする歌手はいっぱいいますが、実際に生で聞くと、全然そうではないことがあります。つまり、録音技術によって作られた声なんですね。
このサラ・ブライトマンさん(女性シンガーです)の声も、CDで聞く限り、極めてキレイで美しいものだったので、実際はどうかと。そうしたら、本当にそうだったので、ビックリしてしまいました。これを毎日歌っているのかと。うまさと言うよりも、そのエネルギーの強さと観客への誠意を強く感じました。音楽はもちろん、舞台や衣装も素晴らしく、「本物」に触れるいい時間となりました。
「志」や「本物」・・・何となく普段使い慣れない言葉ですが、いまの時代が求めているものだと思います。そういうものを持っている人と出会いたいと思いますし、自分自身がそういう人になって行きたいと思います。
2009.03.12
「農」と「林」
西松建設事件が起きて、政治がますます混迷しているようですが、このままだと余りにも問題が山積しすぎて(かつ巨大すぎて)、もう政治家も国民も、思考が止まってしまう状態になりそうです。こういう時は、思い切って環境を変えるのが一番いいはずですから、やはり総選挙でもやって、何か動きを作ってみた方が日本全体のためにはいいと思います。でも、勝つためにやる以上、なかなかそうも行かないのでしょうね。何でもかんでも勝ち負け、競争を重んじてきた社会システムですから、考え方は当然よく分かります。
でももう、さすがにそういう時代ではないと思います。政党政治というあり方も、これからは変わっていくんじゃないかと漠然と感じます。かつてのように「自由主義vs共産主義」というような大きな対立軸も無いですし、多くの人々の考え方自体に、そんな大差も無いと思います。あるとしたら、知っている情報の量と質によるものか、宗教的な部分だけだと思います。ただ、これも徐々にインターネット等の発達によって、情報が行き渡り、是正されていくと思います。となると、やはり個人の発想やアイデアの時代であり、全員がリーダーの時代になるではないでしょうか。
政党ではなくて、いい考えを持った個人が集まって、ひとつひとつの事柄について、よい智慧を出し合い、ベストと思われるいくつかの提案を示す。それを受けて、国民が意見や要望をどんどん出して、最後は多数決で決めていく。こういうシステムになればいいのになぁと思います。まあ、実際は無理なんでしょう。ただ、今のような状況が続くとなれば、政党という価値観が見えなくなるとは思います。
一人ひとりが、自立して、生活をしていくということになると、やはり「農」は重要です。最近私は、ある取材の中で、「尊敬する人」を聞かれた時に、「農業に従事している人」と答えました。人間が生きていく上で、一番の基礎は「食」にありますし、「食」の基礎は農業です。さらに農業は重労働です。そういう聖職に従事している人たちへの尊敬の念をもたないと、バチが当たるような気がします。
また農業は、「林業」や「漁業」とも言い変えられます。岐阜県中津川にある「加子母」という森林では、木を守り、森を守っている素晴らしい人たちがいます。森を育てるためには、間伐をして、光をあてなければなりません。これも重労働です。しかしながら、「木を切ってはいけない」という間違った一般常識のおかげで、日本の森は今、非常に荒れています。森と地球に住むすべての動植物にとって、森は大切な資源であり、それらを地道に守っている人たちは、本当に凄いと思います。東京に居て、そのような方々の恩恵を受けながら楽な生活をしているのに、せめて感謝の念だけでも持たないと・・・。
不況が終わったら(いつか終わるとして)、どういう社会が来るのでしょう。住宅に関して言うと、例えば「持ち家」よりも、「賃貸(的)」が増えてくると思います。所有意識が薄れていくからです。人々の精神構造がまるっきり変わると思います。また事実として、過去の大恐慌の際も、「賃料」の低下はあまり起こらず、賃貸のオーナー(家主)にとって、安定的な時代になると思います。ただ、入居者重視の視点で建てられた住宅であるということが大前提だと思いますが・・・。
もうすでに、人々のモノに対する意識は変わりつつあり、(今、増えているらしいですが)物々交換のサークルも生まれてきているようです。住まいと「農」の一体化も始まってます(家庭菜園)。これから建築は、「エコ・自然素材・風水・建築医学・コーポラティブ・破格の安さ・変わった形・小ささ」等がキーワードになってくると思います。不況が終わったら、あらゆる産業が変わります。それまでに、私たちは「農」や「林」から、多くのことを学ばなければいけないと思います。
2009.03.06
行き着くところ
去年の年末に、やっと薄型の液晶テレビを買って、地デジ放送を楽しめるようになりました。それまで長年使っていた奥行きたっぷりのブラウン管方式のテレビとは打って変わって、本当に薄いし、画面も大きいし、画像がキレイ。特に地デジの映像はすごいです。そういうこともあって、最近は時々テレビを見たりしています。
ところが困ったことに、画像は大変キレイなんだけど、見る番組が少ない。特に地上波の方は、一体どうしちゃったのでしょう。あまりにも画像がキレイで、今まで以上に臨場感があるからか、内容の希薄さも一緒に強調されてしまったかのよう。まるで映画館でテレビ番組を見るような感覚です。
これからは、この超鮮明な画質に相応しい中身のある番組を提供してくれないと、今度は「テレビ離れ」がやってきますね。世の中が大きく変化している中で、「もう、いい加減やめてくれ!」という声が出てくるような気がします。最近のテレビ、新聞の言うことは、すぐ一転二転するし、結局最後は責任を取らない。「真実を伝える」という仕事から、「世論を誘導する」という仕事に商売替えしたというのが実体だと思います。
だから、自分のモノサシを持っていないと、変な情報や時流に騙されて、間違った方向に行ってしまう危険があります。とにかく自分自身で確かめながら、物事を判断していかないと・・・。これは実際、なかなか大変なことで、全部をそうすることは当然不可能ですが、少なくともテレビや新聞等の大マスコミについてだけでも、多少の「?」を持ちながら見ていこうと思います。
そう考えると、「丸二って、全然時流に乗ってないなぁ」と思います。ずっと前から、「本物の建築とは何か」だけを真剣に考え、ただ新しい挑戦を続けているだけ。流行とか時流とは、全くかけ離れていました。否、そもそも時流を掴むことができなかったのです。でも、今になってみると、それで良かったのだと思います。建築の行き着くところは、もう見えています。あとは、そこへ行き着けばいいのです。