2016.06.15
自ずから歩み進め
先月は、伊勢志摩サミットが無事に終わり、オバマ大統領の広島訪問も予定通り行われました。先ずは大きなトラブルも無く、本当に良かったと思います。また今回のサミットでは、世界の先進国の首脳たちが伊勢神宮を訪れました。一人ずつ宇治橋を渡り、あの美しい小石の長い参道を歩き、内宮本殿の石段で記念撮影を行っていましたが、そのシーンを見た時、何とも言えない明るく清らかな気持ちに成りました。世の中では日々、本当に大変な事が起きていますが、各国の首脳がこうして今、日本の伊勢神宮に集まり、(仮に一時でも)晴れやかな表情を浮かべていたという事実が、何かきっと大きな意味を持って来るのではないかと期待します。オバマ大統領も伊勢と広島で何かを感じ、米国へ持ち帰ったのではないでしょうか・・・。
政治的、外交的には、日本はいつも負けてしまうのですが、諸外国の要人の方々が持つ、日本の皇室や神宮に対する並々ならぬ敬意は、(確かに表面的には抑えていますが)その表情や体中から滲み出ているように感じ取れます。今回のサミットで伊勢神宮の映像が世界へ配信されました。これから多くの外国人が訪れるようになるでしょう。多分きっと、「此処こそが世界の真の聖地だ」と感じてくれるかも知れません。地震国、火山国、そして世界唯一の被爆国という宿命を背負った日本と云う国の本当の姿を、世界が知る時代に成ったと思います。
話は変わりますが、今、NHKで「トットてれび」というドラマが放映されています。これは黒柳徹子さんのデビュー当時を描いたコミカルなお話で、なかなか面白いです。主演の満島ひかりさんが黒柳徹子さんを演じていますが、これがまた非常に似ていて、つい笑ってしまいます。また当時の仲間の中に(私の大好きな)寅さんこと、渥美清さん(中村獅童さんが演じています)がいて、これも興味津々です。と言うのも、実は黒柳さんと渥美清さんは当時、噂になったことがあるのです。けれどもこのお二人のことですので、とても面白おかしく取り上げられた様ですね。その辺の事は、後に「徹子の部屋」に渥美清さんと倍賞千恵子さんがゲストとして招かれた際に、いろいろと話していましたが、それがまた非常におかしかった。本当にお二人ともユニークな人です。
黒柳徹子さんは、子どもの頃は(今で言うところの)ある種の発達障害だったそうです。それでも持ち前の明るさと、努力に努力を重ねて、大きな人生を築いて来ました。長年、ユニセフ親善大使も務め、社会に大いに貢献しています。人生とは本当に分からないものです。ただ言えることは、自らのハンデを(明るく)乗り越え、見えないところで小さな努力や善行を積み上げて来た人に、本当の成功や幸福がやって来る様な気がします。イチロー選手にしても、大変な努力の積み重ねの結果、あれだけの天才技が出来るようになったはずです。でもこれは、実際にはなかなか出来ないことです。それでも私たちには、この日々を懸命に努力していく道が在ります。先ずはその一歩一歩を明るく歩み始めることではないでしょうか。
私たち一人ひとりが、明るく晴れやかな気持ちで、この日々を生きて行くことが先ず第一だと思います。世の情勢によって自分自身の気持ちが左右されるのではなく、どのような時でも、自分自身の気持ちを明るく晴れやかに保って行く時代に成ったと思うからです。そのような一人ひとりの明るい気持ちが大きな束と成って(初めて)、その集合体(国や地域)に本物の「光」が灯るのではないでしょうか。もう誰かに依存するのを止めて、自らの自立を目指すべきです。そう思えば、全ては自ずから歩み進むことによって、時代も明るく変化して行くでしょう。この夏、丸二はさらに明るい気持ちでがんばって行きたいと思います。
※映画「ミツバチのささやき」(1973年:スペイン)
スカパーの映画チャンネルで、1973年製作のスペイン映画「ミツバチのささやき」(監督:ビクトル・エリセ)を鑑賞しました。この映画の事は題名以外ほぼ知らず、先入観ゼロで見ることが出来たのですが、その全編絵画の如く美しい映像風景に大変心を打たれました。物語性という意味では起伏は小さく(内容的にも)一体何が主題なのかが少々分かりにくい面もありましたが、スペイン内戦の末の苦しい独裁政権下における、一人の少女の意識の目覚めが、全編夢のような暗喩世界として繰り広げられていたのではないかと感じました。
物語自体は、決して明るく楽しいものではありません。どちらかと云うと暗く、陰鬱で、物悲しく、そして荒涼とした寂しさすら感じます。けれども主人公の少女アンの持つ透明無垢な可愛らしさとスペインの厳しくも美しい広大な原野を吹き渡る風と光が、何故か不思議と明るい未来へと私たちを誘ってくれるような気がしました。最後に少女アナは、様々な経験をした後で、夜の窓を開き、神々しい光の中に立ちます。その後ろ姿に、未来への明るさを予感させます。
独裁政権に対する批判を直接表現できない時代だからこそ、このような作品が生まれたと思います。けれどもそのおかげで、(単なる批判・批評を超えた)人間個人の持つ崇高な意思の力と未来へ向かう明るい光の束、そして、それら全てを包み込む天の温かい眼差しを、(美しい映像風景として)同時にフィルムに焼き付けることが出来たのでは無いでしょうか。「ミツバチのささやき」はそのような映画でした。どんなに厳しい時代でも、どんなに苦しい時でも、自ずから歩み進み、自らの意志で窓を開ければ、誰もが「光を観る」ことが出来るのです。