社長ブログ

大地讃頌

今年の夏は(例年以上の)息苦しい程の暑さを感じます。お盆休みの間には、海や川の「水」の事故が相次ぎ、また西日本各地では猛烈な雨量を伴う台風に見舞われ、大変な被害が起きています。特に広島市北部の大規模土砂災害では、(今日現在で)死者39人、行方不明者51人まで拡大しており、救出活動も困難を要しています。土石流(「土」)には、一瞬の内に全てを飲み込んでしまう恐怖が在ります。時間的にもまだ明け方だった為、逃げる余裕は全く無かったのでしょう。日本の防災対策は地震に対しては日頃から意識が在るのですが、津波や水害への意識は今まであまり無かった様に思います。今後は、地震、津波、豪雨、水害、竜巻、火災、山崩れ、火山の噴火等の想定される全ての自然災害への防災意識が必要ではないかと思います。同時に、それらのあらゆる種類の自然災害に耐えうる住宅や街づくりも重要です。このような自然災害は、地球環境の変化に伴って現れて来ていると思われますので、今後もますます増加傾向に成るのでしょう。都会でも、猛烈な豪雨による水害の可能性が在ります。
またTVでは(毎日のように)殺人事件、紛争(戦争)、疫病(エボラ出血熱)等の嫌なニュースが流れていますが、これらも地球規模の変化と連動している様に思え、今後も増加していく可能性が在ると思います。私たち人間の生命の「土台」とも言える「大地(=地球)」が病気に成れば、当然、私たちの生活に関わる全ての土台(基本)が根底から崩れ始め、(当然)人間の精神や免疫力にも大きな影響を与えるはずです。そのような大きな時代の潮流を見ずに、ただ目先の対応のままでは、この悪い流れを改善することは出来ないのでは無いでしょうか。今、発生している全ての事象を「総和の目」で見る力こそが、求められているのではと強く感じます。
私たちは、この地球(大地)が無ければ生きては行けません。水や空気が無ければ、数分で全員死亡です。それにも関わらず、この大地や太陽や空気、つまり大自然への日々の感謝を忘れているのではないでしょうか。全てが当たり前だと思ってはいないだろうか。実は少し前に、「大地讃頌」のCDを買いました。数年前に娘の中学校(私の母校です)の卒業式にて、生徒たちが一生懸命に合唱していた「大地讃頌」を聞き、深く感動を覚えたからです。とても美しく豊かな起伏に溢れた曲想で、母なる大地への感謝を大いに歌い上げた素晴らしい音楽です。いつの頃からか、学校の行事等で歌われ始めたのですが、確か自分が子どもの頃には歌っていなかったと思います。実際にCDを買って知りましたが、この曲の正式な曲名は≪混声合唱とオーケストラのためのカンタータ「土の歌」≫の中の≪第7楽章「大地讃頌」ロ長調≫で、大木惇夫氏が作詞、佐藤眞氏が作曲したカンタータの一部でした(1962年作曲)。
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佐藤眞:「土の歌」
東京混声合唱団・東京交響楽団・山田和樹(指揮)
「土の歌」全7楽章は、第1楽章「農夫と土」、第2楽章「祖国の土」、第3楽章「死の灰」、第4楽章「もぐらもち」、5楽章「天地の怒り」、第6楽章「地上の祈り」、第7楽章「大地讃頌」で、私たちが知っている「大地讃頌」は、実は、カンタータ「土の歌」の「終楽章」のことだったのです。本来はオーケストラと混声合唱の曲ですが、一般的にはピアノ伴奏版が使われています。購入したCDは、オーケストラ版のコンサートのライブ録音で、とても素晴らしいものでした。同時に、初めて「土の歌」全曲を聴くことで、この音楽本来の意味をも理解することが出来たのです。第1楽章から第5楽章に至る中では、大地の恵み、土と人間の暮らし、天災と人間の悪、そして原爆と戦争への怒りが、時に暗く、時に激しく、恐怖の音と成って表現されていました。そして第6楽章「地上の祈り」が始まり、大地への祈りと感謝、そして反戦への思いが、瞑想的な静けさと宇宙全体へと響く様な音楽美の中で、歌われるのです。そして、その静寂の後、静かに・・・「大地讃頌」が始まります。この一連の流れ、特に第6楽章「地上の祈り」から第7楽章「大地讃頌」への移行があって、この音楽全体の持つ本当の意味が解るような気がしました。
☆第六楽章「地上の祈り」
美しい 山河(やまかわ)を見て
美しい 花を見て
大地の意(こころ)を信じよう
恩寵(おんちょう)を
自然に享(う)けて感謝しよう
ああ
戦争の
狂気をば
鎮(しず)めたまえ
剣の乱れ
爆弾の恐れを
さけたまえ
天意にそむく
動乱を
おさめたまえ
ああ 戦争の
狂気をば
鎮めたまえ
地の上に花さく限り
よろこんで日ごと営み
悲しみも耐えて生きよう
ああ 栄光よ
ああ 地の上に平和あれ
☆第七楽章「大地讃頌」
母なる大地のふところに
われら人の子の喜びはある
大地を愛せよ
大地に生きる人の子ら
その立つ土に感謝せよ
平和な大地を
静かな大地を
大地をほめよ たたえよ土を
恩寵(おんちょう)のゆたかな大地
われら人の子の
大地をほめよ
たたえよ 土を
母なる大地を
たたえよ ほめよ
たたえよ 土を
母なる大地を ああ
たたえよ大地を ああ
第7楽章「大地讃頌」は、まさに大地への限りない讃歌です。学校の卒業式に「なぜ、大地の歌なのだろう・・・」という疑問があったのですが、実は「大地」とは、「この世」であり、「今」であり、「ここ」であり、「現実」であり、「自身の存在理由」の比喩であることに気がつきます。それら全てが、大自然から与えられた「恩恵」であることにも気づきます。人を傷つけてしまったり、自分をも傷つけてしまう子ども達の多い時代だからこそ、大地の恵みによって生かされている自分自身に気づき、その与えられた「生命」を大切にする心を持とう。そして「今」と「ここ」を大切にして、これからの日々を超えて行こう。そのような願いが込められている様な気がしたのです。このことに人間が気づかない限り、地球は私たちに警告を発し続けるのでしょう。それでも気づかなければ、自然界は遂に人間を(大地から)排除してしまうかもしれない。実は、この第7楽章「大地讃頌」の後に「第8楽章」の構想もあったそうで、それは「人間を排除した地球に平和が訪れる」という内容だったそうです。けれども作者は、地球がそうは成らない様にとの希望を持って、第7楽章「大地讃頌」を終曲にしたそうです。
私たちは、今や重大な「分水嶺」に立っていると思います。第7楽章の「大地讃頌」の意識を持って、大地を愛し、大地に感謝し、自然界の恵みに感謝できる様に成らない限り、自然の猛威は終わらないのかも知れません。大自然のエレメントの1つである「水素」が、次代のエネルギーと医療の「本命」と成る産業革命以来の大革命が、これから起きようとしていますが、もしこれが実現すれば、私たちの生活や経済は大転換し、世界平和と長寿命をも可能にすると言われています。けれども、それを実現するには、先ずは、私たち人類の「人心改革」が大前提でしょう。この大地を愛し、大自然からの恵みと与えられた(自分自身の)生命への感謝を持つことが、今こそ問われているのでないかと思います。「土」も「水」も、人間の生命にとって極めて大切な恵みですが、時には人間の生命を奪う怖さも持ち合わせています。大自然への畏敬の念を持って、大地(いま、ここ)への感謝を・・・。そのような思いを強く持った、今年の夏です。