2013.11.12
命~天国のママへ~
台風30号の直撃を受けたフィリピンでは、死者が1万人を超えた状況の様です(心より御冥福をお祈りいたします)。ニュース映像を見ただけでも、その被害の甚大さが解ります。今年は日本でも大型台風の被害が多発しましたが、ここまでの犠牲者数には成りませんでした。そのようにして考えて見ると、あの3.11規模の震災や津波が、もし日本以外で発生したら、とてつもない規模の犠牲者が出る可能性があると思います。最近日本でも、東日本大震災の余震(最大震度5程度)が数回ありましたが、特に被害は起きていません。けれども海外では、震度5レベルで建物が崩壊する国や地域も多いと聞きます。日本は様々な試練や困難、外圧を受けながら、強く逞しく成っているのでしょうか。弱く見えて、実は強いのかもしれません。
人間も同じで、苦しい経験や惨めな経験をさせられる中で、(それをバネにして行く限りにおいて)立派に成長してくような気がします。日本は決して威張らないし、目立たないし、常に控えめです。何事に対して受け身で、強き相手に従属し、いつも難題を突き付けられてばかりです。そのような弱気の姿勢への批判も多いのですが、これは人間同様、生まれながらに染みついた性格(性質)なのかもしれません。なかなか直らない。本当は優秀なのに、力が無いので、いつも貧乏くじを引いてしまう。けれども、その「負」の状態を(仕方無く)受け入れながら、現状を乗り越える経験を積んできたお蔭で、どこの誰よりも(内面的に)強い人間(国)に成って来たのかもしれません。だからと言って、反撃に出ようなどと言う発想や勇気も無く、なんだかんだ有りながらも、結局無難な場所に落ち着いて、全体の中でのバランスを重視してしまう。なんとなく(良い意味で)老子的な生き方をしている国が日本のような気がします。
弱いとは強いこと・・・老子的な考え方は、(一見)訳が分からず、摩訶不思議です。けれども、本当の強さとは何かを追求していくと、世間と「反対」の道を行くのが正しいと成ります。兜町の格言でも「人の行く裏に道あり花の山」とあります。みんなが行く方向と違う道を行くのは、さすがに勇気が要りますし、不安なことです。けれども、常に(最後に)勝利を掴む人々は、あえて(そのような)苦難の道を選び、遠回りをしながら、成功に至っています。物事は決して直線的(効率的)に進むものではなく、曲がりくねった道を行ったり来たり(非効率)しながら、微々たる前進の蓄積によって、良き到達点に達するのでしょう。自然界に「直線」は無いそうです。あらゆる自然界の物質は、曲線で出来ています。けれども人間は、どうしても最短距離である直線思考で結果を求めてしまいます。あえて負担の多い遠回りをする人はあまりいません。
昨夜、TBSのドラマ「命~天国のママへ~」を見ました。私たちが応援している岐阜県加子母が舞台の作品です。加子母は林業の村で、伊勢神宮の御用材の産地です。私たちは、加子母ヒノキ住宅を産地直送で造っていますが、同時に加子母森林ツアー等を開催し、加子母の素晴らしさを(微力ながらも)世間にPRさせていただいています。国の神宮備林を抱える加子母の山は、とても荘厳かつ幻想的なのですが、その美しさが見事に映像化されていました。知っている風景や場所を背景にして、命を守ること、森を守ること、日本を守ることを描いた物語を見ながら、あらためて加子母の全てに感動しました。
津川雅彦演じる山守は、加子母森林組合の内木組合長の家系がモデルであり、その本家が実際の撮影にも使われました。もちろん役名は「内木(ないき)」です。加子母の山を500年守り続けている家系の存在があって、森は命を保ち続けているのでしょう。加子母の森は、四世代の木々が一緒に同居する「四世代複層林」として有名ですが、この四世代の木々が共存する森をつくるのには、実際には100年近く掛るそうです。加子母の山は、あと20年くらい。ドラマの映像を見ると、1つの場所に大きいヒノキと小さいヒノキが一緒に育っているのが分かります。こういう森は実は珍しいのです。森に光が入り、森の中にたくさんの動植物が棲みことで、森は命を保ちます。けれども、適度な間伐をして行かないと、森に光が入らず、森は荒れて行き、山は死んで行くのです。これが今の日本の多くの山が抱えている現状です。
そのような加子母を舞台にして、物語は「命」をテーマに進行します。「どんなに苦しくても、苦しみながら生きろ。生きたくても生きられなかった人々がたくさんいるのだ。命を支えよ。森を支えよ。それは日本を守ることなのだ」・・・津川雅彦の台詞は、このドラマの根源的テーマを表現していました。同時に、丸二の理念にも繋がりました。お母さんが死んでしまった悲しみを、一人の都会の少年が、加子母の大自然と一本の木(奇跡の木)によって乗り越えるのです。自然の力は偉大です。お母さんの遺骨を川に落とす時、どうしようもなく溢れ続ける涙と共に、彼の中に「生きる力」が生み出されました。「悲しければ、悲しみながら、生きろ」。命とは、そのようなもの。歯を食いしばって、繋げていくもの。加子母の山には命が宿っています。加子母の名には、母と子の絆が宿っています。そこには、美しい命の連鎖が在ります。
ドラマでは、内木家の本家をはじめ、加子母森林組合のモクモクセンター、加子母大杉(盆踊りのシーン)等、加子母森林ツアーに参加された方々にとって、馴染みの場所がたくさん出て来ました。身内的な嬉しさがいっぱいありました。100年単位で、山を守り続ける山守の生き方は、確かに(とてつもなく)遠回りです。極めて非効率です。経済性とは正反対の道です。けれども時代は、こちら側に(ほんの少し)向き始めています。直線的かつ物的な成果を追い求めて来た人々が、遂に疲れ始めた時、その人々の足は「山」へと向かいます。何も変わらない、何も動かない、何も起こらない、ただ歴然として「存在」するだけの山へ・・・。日本の山には、私たちが失って来てしまった「何か」があるように思います。弱いとは強いこと・・・。加子母の山に行くと、そう強く感じます。それは日本の未来を暗示しているかのようです。大自然の恩恵に感謝すること。それが、政治でも経済でも人生でも、全てを含めた共通の根源的なテーマであると。老子の思想の根本は、「無為自然」です。本当に少しずつ、少しずつ、時代は良き方向へ流れ始めているように感じます。そして最後は、弱き日本が世界のお手本と成るのでしょう。日本が世界の雛形と成って、世界のお役に立つこと。その為のヒントが、日本の山には在ると思います。