2013.07.08
ヴェルディを聴きながら・・・
最近、イタリアのオペラ作曲家ヴェルディの「レクイエム」をよく聴いています。ヴェルディはワーグナーと同年生まれで、今年が生誕200年に当たるのですが、私は今までヴェルディをほとんど聴いたことがありませんでした。特に理由はありませんが、ドイツオペラのワーグナーが好きでしたので、何となくイタリアオペラに関心が無かったのでしょう。クラシック音楽もまだまだ奥が深くて広いですね。ヴェルディの「レクイエム」は、タルコフスキーの映画「ノスタルジア」の冒頭に使われていて、その数分間だけで魅せられたのです。その後いくつかのCDを聴いて、とても好きに成りました。
「レクイエム」と言うと、モーツァルトとフォーレ、そしてこのヴェルディが有名ですが(3大レクイエム)、それぞれ全くタイプも雰囲気も違い、個性的です。中でもヴェルディのものはオペラ的な壮麗さと美しい旋律に溢れていて、約80分間と長丁場ですが、とても感動的な音楽に成っています。「レクイエム」とは「鎮魂」という意味ですので、死者に対する祈りの音楽です。けれどもそこには変な暗さは無く、むしろ希望の光を感じます。日本的な言葉で言うと、「先祖供養」なのかもしれません。日本では「レクイエム」に相当するような音楽やミサは無いと思いますが、例えば毎日、仏壇に線香をあげて、御先祖様を「思う」行為はあります。
日本の場合は(このような家の中の日常生活の中に)先を生きた家族を思い、感謝を伝える文化が生き続けています。その祈りと感謝は、1つの大きな力と成って、今の日本を支えているのかもしれません。今、私たちが生かされているのは、御先祖様がいたからですね。日本人の素晴らしさとは、このような御先祖様や大自然への感謝の心が(ごく当り前の様に)体中に染みついていることではないでしょうか。そのような基礎があるから、西洋の「レクイエム」に対しても、ごく自然に共鳴できるのだと思います。だから毎朝、仏壇に(感謝の心を込めて)線香をあげながら、「日本人って素晴らしいなぁ」と感じるのです。
けれども、先祖を「思う」とは、決して暗くて悲しいことではありません。今の自分自身のルーツへの感謝であり、「見えない世界」への(日々の)ご挨拶のようなものです。例えば、富士山が世界遺産に登録されましたが、富士山を「単なる山」としてしか見ない日本人はいないでしょう。明らかに「何かが在る」と感じているはずです。「霊山」としての富士山を(心の眼で)観ているからです。太陽もそうでしょう。美しい朝日や夕日を観ると、自然に手を合わせる自分自身がいます。目には見えないけれど、きっとそこには何かが在る。その最も身近な存在こそが御先祖様であり、その「見えない世界」へのご挨拶こそが、毎朝仏壇に線香をあげることだと思います。その時の心の様相は、とても明るく、爽やかで、清々しいものです。
ところで富士山が世界遺産と成り、今後は登山客が増えて行くようですが、私自身としては、所謂「霊山」に(人間が)軽々しく足を踏み入れて良いのだろうかと考えてしまいます。誰もが「何か在る」と思う山は、きっと「霊山」であり、そこは神聖な場所のはずです。決して汚しては成らない場所です。観光気分で多くの人間が足を踏み入れて行くことを、富士山自身が望んでいるのだろうか。ふと、そんなふうに感じるのです。例えば、ある程度の金額の入山料を取るなどして、山の管理を徹底することが大事だと思います。それが日本人「らしさ」のような気がします。「見えない世界」を信じて、畏れ、敬意をはらえる日本人として。
けれども最近は、仏壇や神棚を置く家が少なく成ったようです。それでも住宅のプランニングの際には、仏壇を置くスペースについてのご相談をいただくことも多いです。目に見えない世界を意識する人は、確かに少なく成ったけれども、決してその文化が失われたわけではありません。あの東日本大震災の追悼の願いと祈りは、きっときっと、自分自身のルーツに対する供養へと結びつくでしょう。そして、かつての素晴らしい日本文化を復興させる時が来るに違いありません。
かつて、日本の家には大黒柱と仏間がありました。日本人にとって、家とは「生活」そのものであり、生活とは「感謝」そのものだったと思います。今の家族と過去の家族への感謝の心が、実は大きな「大黒柱」と成って、家系を支えていたはずです。その(一人一人、一家一家の)感謝の「総和」が、国を支えていたはずです。今の日本、確かに財政は厳しいですし、景気も悪く、問題も山積しています。けれども、世界を見回してみて、日本ほど「安心できる国」は無いはずです。結局、最終的には国民性です。「感謝」と「和」でまとまる日本が最強です。「目に見えない世界」への感謝の心を醸造していたのが「先祖供養」という行為であり、「家」という場ではなかったか。イタリア人のヴェルディの「レクイエム」から、随分話が飛躍してしまいましたが、やはり日本は素晴らしいと言うことです。