2013.03.13
3.11
2011年3月11日から丸2年が過ぎ、その日の午後2時46分には(心の中で)黙祷を捧げました。ここ数日、各テレビ局では震災についての特集番組を組み、被災された方々のその後を放映していましたが、(実際には)そこには映らない(映せない)本当の苦しみが未だ存在しているはずだと感じます。被災地の復旧・復興は遅々として進んでいないようですが、確かに、物理的な面において、あの日以前の状態に戻すのには、相当の時間が掛かるのでしょう。さらには以前の場所に街を再現するのではなく、別の地域(高台等)への移設ですから、全てがゼロからのスタートです。作業以前に先ずビジョン(方針)を確立しないと、なかなか心も形も1つに成りません。今までの場所への愛着と共に、またいつか来るかもしれない地震や津波への恐怖の中で、答えの無い質問が(頭の中で)繰り返されている人もいると思います。その精神的な苦しみは、きっと計り知れないものだと思います。
そのような中でも、働く場所がある人は、前向きに生きているように感じます。自分の家を失い、大切な家族を失っても、今日の「衣食住」があり、今日の仕事がある人は(大変な苦しみや悲しみを抱えながらも)生き生きとしているように見えます。もちろん明日への不安を拭い去ることは出来ないと思いますが、「今を生きる力」とは、本当に物凄いものだと感じます。それにひきかえ私たち多くの人間は、毎日「衣食住」に恵まれているのに、常にいろいろな不満や不安を持ち、今を生きずに、過去(後悔)や未来(不安)の中を生きています。終わったことにクヨクヨしたり、まだ来ないことを不安に思ったりして、今の意識が「今、ここ」に無く、どこか遠くに浮遊しています。多分きっと、これほど「もったいない」ことは無いのでしょう・・・。
現在、過去、未来とは言いますが、それは理屈の世界で、実際には(この世界では)「今」しか無いようです。「今」の連続が、ただ続いているだけです。「過去」の経験によって「今」が在り、「今」の意識と行動によって「未来」が形成されます。つまり今の中に、(すでに、同時並行的に)過去も未来も含まれていると言うことです。だから「今、最善を生きる」こと。将来への不安で、今が楽しくないとしたら、それは無意味なことです。今を楽しむことで(同時並行で)良き未来が形成されるからです。同時に、過去の全てに感謝すれば、今を楽しむことも出来ます。今、感謝の心で、最善を生きること。私は、今回の東日本大震災で、そのようなことを感じ、学ぶことが出来ました。
さて今日も強風が吹いています。先日の日曜日には煙霧が発生し、空が急に暗く黄色に染まり、ある種の恐怖心を抱きました。最近は寒暖の差が激しく、花粉の猛威も増して来ています。全て、自然界に対する(私たち人間の)行いの結果だと思います。そうであるならば、私たちは意識を変えて(できる限り)自然を破壊しない生き方に修正しなければ成りません。同時に(その間)自然の猛威から身を守ることも考えなければ成りません。それは「衣食住」の確保が基本であり、特に食糧の確保と安全な住宅が最優先に成ると思います。過去の行いによって、私たちは厳しい(今の)時代を生きていますが、そのことに(積極的に)感謝することで、明るい未来を引き寄せると思います。インフレ、円安、消費税アップ、外交、防衛、原発、エネルギー、社会保障、景気回復、財政再建等、難問ばかりの日本ですが、それでも尚、生かされている現状に感謝して、近隣諸国との融和を思い(願い)ながら、最善を生きて行きたいと思います。そのことが、東日本大震災でお亡くなりに成られた多くの方々への最大の供養だと信じます。