社長ブログ

この空の花 長岡花火物語

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大林宣彦監督の最新作「この空の花 長岡花火物語」を見て、久しぶりに映画について書きたくなった。最もこの作品を「映画」だと言い切れるのかどうかは分かりません。セミ・ドキュメンタリーという説明ですが、そういう域を遥かに超えている気がします。普通ではありません。しかも新潟県長岡市の(いわゆる)町おこし的な地域のローカル映画であるはずなのに、そんな小さな枠組み(常識やイメージ)などを全てぶち壊し、大胆かつ刺激的な大林流の超ワンダーランドに仕上げながらも、「果たしてこれ以上に長岡花火物語を伝える手立てがあったのだろうか」と思えるくらい、本質を突いた爽快感がありました。何だろう、これはいったい・・・。
あの戦争で長岡は大変な空襲にあったそうです。多くの市民が犠牲となり、その追悼のために始まったのが長岡花火。それは中越地震を乗り越えて、東日本大震災の復興とも重なり合い、今や平和への「祈り」のシンボルと成りました。長岡花火は、米軍から大空襲を受けた8月1日に、毎年上げられます。土日に合わせたりはしません。なぜか・・・。それは「観光用」では無いからだそうです。「追悼」「祈り」そして「復興」へ。ひとつの里が、いつまでも「その日」のことを「決して」忘れずに、先人を供養し、追悼し、感謝を捧げている。このように、永遠に「未来へ」つなげていく無形の「思い」こそが、本当の意味での「平和」なのではないかと、あらためて気づかされます。外側に向けて、何かを訴える(運動する)のではなく、自らの内側に向けて、「供養」「祈り」「感謝」を「思う」ことで、長岡の人々は戦後60年以上を掛けて、日本の平和を「実現」して来たことを、知りました。
この映画では、戊辰戦争でこの里が焼けた時に支援された「米百俵」を、未来の子ども達のために(国漢学校創設に)使った小林虎三郎の精神も紹介されています。これも、やはり「未来のため」でした。有名な画家、山下清も長岡を訪れて、「長岡の花火」を描いています(このエピソードも映画に出て来ます)。山下清画伯は「世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、世界から戦争が無くなるのにな」と言ったそうです。そうか、だから花火なのか。戦争も花火も同じ音(爆発音)がします。同じものを「善」に使うのも人間、「悪」に使うのも人間。そのモノ自体は善でも悪でも無く、それを「どのような心」で使うのか・・・結局、人間性の問題なのです。原爆や原発も、それを扱う「人間」の問題なのです。映画では、花火の音を聞いて、空襲を思い出し、恐怖する人も出て来ます。一方、現代の私たちは、花火を見て、空襲を思い出したりはしません。なんと平和なことか・・・。ありがたいことか・・・。多分それは・・・長年「供養」「祈り」「感謝」を思い続けてきた「誰か」のおかげなのでしょう。
いつまた戦争が起こるかは分かりません。二度の起きないとも限りません。それなのに今の私たちは、あまりにも能天気です。この「無知さが故の」怠惰なる姿勢は、いずれまた「次の戦争」を生み出すことでしょう。危機を想定すれば危機を回避できますが、危機を想定しなければ、危機を回避できません。私たちは「3.11」で、そう学んだはずです。この映画の中心軸は、不思議な女子高生が台本を書いた「まだ戦争には間に合う」という劇です。まだ戦争には間に合う???・・・もう戦争は終わったのに・・・はっとしました。そうではないのです。これは過去からのメッセージ、いや忠告、いや警告です。二度と起こしてはいけない戦争が、また起こるかもしれない。だから「次の」戦争にまだ「間に合う」と言っているのです。寒気がしました。私たちは、60年以上前の戦争を「思い出し」、そこへ向けての「供養」「祈り」「感謝」を捧げることで、次の戦争を起こさないようにしなければならないのです。だから「まだ間に合う」。過去の先人達は、自らの生命を犠牲にして、未来の人々を救おうとされました。自分が苦しいのに、痛いのに、熱いのに、恐いのに、寂しいのに、悔しいのに・・・未来の「知らない」子どもたちのために、何かを残そうとされました。そのことへの「感謝」を、私たちは忘れてないだろうか・・・。
去年、東日本大震災が起きました。2万人もの多くの犠牲者の方々も、同じように「未来へのメッセージ」を残してくださいました。だから、そのことを「忘れずに」祈り、感謝して、平和を実現して行きたいと思います。日本は原爆、大空襲、大震災、原発事故等を経て、その度に、「未来へのメッセージ」をつなげ続けています。でも、もうそろそろ「応え」を出さないといけません。「まだ間に合う」けど、もう最後のチャンスです。それは、一人ひとりが「意識を変えること」しかないと思います。原発事故以来、節電で、夜の明るさが暗くなりました。映画の中でもありましたが、昔の人は「その方が落ち着く」。また、映画の(劇中劇の中の)セリフでも、「神様も、夜はこれくらいの明るさで暮らしなさいと言っている」とありました。いま私たちは多くのシグナルをいただいています。政治や経済、資本主義、みんなもう変わります。でも、絶対に「良い」方向に変わるのです。意識さえ変えれば・・・。
この映画の主人公は、不思議な女子高生で「花」という名前です。いつも一輪車に乗っています。多分、時空を超えた存在です。「時空を超えた存在」が現れる「ご当地映画」などは、普通はありません。映像も(必ずしも予算たっぷりでは無いことが判るような)合成やアニメーションも多用され、テンポも早く、かつ上映時間は160分(2時間40分)。きっと「変な映画」と思う人も多いことでしょう。でも、そのような危険を冒してまで、この風変わりな作品を、70歳を超えた一人の人間が造り出したことに対し、私は素直に感動しました。私たちは今、戦争を含めた数々の危機や混乱、大変革の前に立っています。でも、「まだ間に合う」。意識を変えて、本質を知る努力をし、すべてを見直し、やり直すこと。日々1mmでも良いから、前進していくこと。そう、この映画の全編を流れるエネルギーは「前進」です。良き未来への前進を、始めて行こうと感じました。