社長ブログ

お正月

今年のお正月は、家でのんびりでした。大晦日も、いつもはテレビを見ながら過すことが多いのですが、今年はほとんど何も見ずに、静かに年を越しました。お正月番組も箱根駅伝の往路だけ。東洋大学の柏原君の自己ベスト更新は本当に素晴らしかった。他の選手たちも、みんな最善を尽くしたのでしょう。自分自身の持っている力をフルに出し切り、自己成長を遂げて行くことこそが人生なのだと、あらためて感じます。今年からは、もう他者との競争の時代ではなく、自分自身の成長へフォーカスです。何のために生まれて来たのか、それは自分自身をより高めて行くためなのだから、いろいろな経験をして、それをクリアーしていくことが真の喜びになってくると思います。多分、そのような時代へ変わって行くのでしょう。
さて、この年末年始は、何冊かの本といくつかのCDを買い、それらを楽しみました。本に関して言うと、経済系にしても、精神世界系にしても、これからの世界の命運は日本が握っているということにおいて、一致していたように感じます。私もそう思います。責任重大ですね。でも、日本人はきっとやると思います。2012年は、かなりの大変化が起きそうですが、日本人の本当の力を世界に示すには、良い年です。それは、日本人一人ひとりの精神性の発露(思い出すこと)によって起きるのではないかと想像します。普通の人たちの素晴らしい人間性が、日本の、否、世界の宝に成ると。今からワクワクします。
CDの方は、とても収穫でした。クラシックを聞き始めた頃、一番好きになった指揮者であるドイツのフルトヴェングラーのCD を数枚買ったのですが、これが本当に良かった。フルトヴェングラーという名前を知っている人は少ないと思いますが、クラシックの世界では、最高峰(神)の存在です。もちろん、昔の人ですし、ナチスドイツの時代ですので、録音も古く、当然全てモノラルです。それにも関わらず、亡くなった1954年から60年近く経った今でも、多くのCDが発売され、たくさん売れています。
そのCDのほとんどが、音質を改善するために、新たなマスターテープを発見したり、リマスタリングをしたり、状態の良いアナログレコードからの復元盤等、血と汗と涙の結晶のようなもので、それくらい、少しでも良いからフルトヴェングラーの生の演奏に近いものを体験したいという、多くのクラシックファンの願いが存在しているということです。同じ曲でも、演奏日が違う録音が発見されれば、大騒ぎとなります。現代では、このような演奏家は、クラシック以外のジャンルでも、そうはいないでしょう。
フルトヴェングラーは、ドイツのベルリンフィルの指揮者でした。戦争が始まり、ナチスの支配下から多くの芸術家たちが国外へ亡命して行きましたが、フルトヴェングラーは、最後まで残り、戦火の下で、ベルリンフィルを振り続けました。当然、ヒトラーの前での演奏会もあり、亡命した人たちは、「ナチスに協力した人物」として、激しく非難しました。でも彼は、ナチスを批判しながら、ドイツ音楽を護り、善良なドイツ民衆へ(苦しい時だからこそ)良き音楽を聞かせるために、そのような中傷にも負けず、やり遂げたのです。
今回買ったCDの中に、戦争が終わり、戦後初めてのベルリンフィル演奏会の初日(1947年5月25日)の実況録音があります(フルトヴェングラー・コンプリートRIAS レコーディングス)。曲はベートーヴェンの田園と運命です。私は3日後の27日の録音(運命)を、クラシックが好きになった頃、CDで聞いて、もう本当に感動してしまい、今でも大切にしています。でも、今回CDで聞いたのは、その公演の初日、つまり戦後初めて、ベルリンフィルの音が鳴った瞬間の記録です。しかも、その音の状態がとても素晴らしく、驚くような音質で、生でフルトヴェングラーを体験できたかのような気持ちになりました。
志を持って、命を懸けて、最善を生きる。その感動は、60年経っても、100年経っても、色褪せるどころか、むしろより高まっています。戦争が終わって、念願の平和が来て、中断していた演奏会が再開される。その時の、民衆の喜びの気持ちとは、一体どれほどのものだったでしょうか。それは、この音を聞けば、もう言葉は不要です。
一方、紅白歌合戦で歌われている曲の中で、60年後も100年後も、愛され続けるものがどれくらいあるでしょうか・・・。ちょっと心配です。芸術とは、今のセールスとは、別の次元で創造されるべきものです。仮にその時、理解されなくても、後世へ何かを残すことができたら、それも成功ではないかと思います。結局のところ、自分「自身」を信じて、創造していくことが、本当の幸福のような気がします。
今年も一年、いろいろな良き経験ができそうです。とてもワクワクします。