2011.09.12
最悪を想定し、最良を目指す
ここ最近の新聞広告欄に、海外有名歌劇場の来日オペラ公演の広告が多数掲載されています。実は、そのほとんどの内容が、「(主役の)歌手の来日キャンセルのお知らせ」です。バイエルン国立歌劇場やボローニャ歌劇場といった、とても有力な歌劇場の来日公演なので、歌手陣も超一流の方々ばかり。数万円のチケットを買われた人々も、きっと「その人が出るから」という気持ちだったと思います。
広告によると、「出演者変更によるチケット払い戻しはできません」「全員、突然の急病(病名も記載)」とのことで、また、よっぽどチケットの売れ行きが悪いのか、「お隣の席を無料ご招待します」という、今まで聞いたことも無い様な緊急キャンペーンも出てきました。公演はもう9月の中旬からです。主催者の焦りを感じます。確かに、出演者の交代という事は良くあることです。でも今回のように、ほぼ全員の主役級が、一斉に突然病気になって、来日キャンセルとは前代未聞です。
つまり・・・原発と放射能の問題だと思います。外国から見て、日本は危険な国に映っているということです。今回の原発事故の対応の一部始終を、海外は冷徹な目で見ていたのでしょう。その結果として、「命には代えられない」という現実的な判断を生み出したものと想像します。もっと国として懸命な対応をしていれば、仮に完全な収束がまだ先であっても、「安心感」は随分違っていたと思います。このようにして、今回の原発事故は様々な方面に渡って、想定外の形で、厳しい影響を与えて始めて行くと考えられます。
「最悪を想定し、そうならないように努力する」という危機管理の原理原則を全ての日本人が身に付けて行く必要性があると感じます。私たちは、なかなか悪い状況を想定することが苦手です。起こって欲しくないことをイメージしたくないのです。口にしたくないのです。「縁起でもない」と言われたくないからです。日本は「言霊(ことだま)の国」と言われ、古来より言葉にはエネルギーが有ると信じられて来ました。発した言葉どおりの未来に成ると。だから、良い言葉を発しようと。それは正しいと思います。「ありがとう」「うれしい」「しあわせ」等のプラスの言葉を多く口にするのは大切です。
でもそれと同時に、大切な前提条件も合わせて意識しないといけません。それは、「最悪、こうなるかもしれない。そうなっては困る。そうならないようにしよう。そのためにこうしよう」という危機意識です。その後に続けて「でも、大丈夫。きっとうまくいく。心配することは無い。良かった。ありがとう」と成ります。
今回の津波に関しても、もし最悪を想定する習慣があったら、地震発生直後に10メートル級の津波が観測された時点で、一斉にすべてのTV放送・ラジオ放送等を官邸からの中継に切り替え、東北地方の太平洋岸にいる全国民に対する緊急避難命令の発令を宣言できたかもしれません。それによる様々な問題は起きたでしょう。でも「その責任は私が取る」という人が一人いれば、物事は動くのです。もちろん、それでどれだけの人命が助かったかは分かりません。でも、それほどの巨大な津波が来るのかという危機感はより強く伝播したかもしれません。
これからも、おそらく様々な形で大きな危機がやって来ると思いますので、「最悪を想定する」習慣と、その上で、明るく、絶対に大丈夫と言う安心感を持って、日々の「今」を、前向きに過すことだろうと思います。そうすれば、実際には危機が来なくなるのではと思います(それが一番良いことですから)。
いずれにしても、外国の歌手の方々同様に、自分の生命、家族の生命を最優先にする時代に成りました。人からどう思われようとかまわない。命を脅かすものから家族を守ることが、何よりも大事。それは当然のことなのでしょう。だれも責められません。それはエゴでは無くて、人間の本能として理解していかないといけないと思います。ですから一刻も早く、安全な国、安全な街を取り戻すことに、全力を挙げる姿勢を示すことだと思います。
建築の役割はこれから大きく成りそうです。家族の生命を守る住宅。家族の心を守る住宅。これがこれからの世の中にとって、最も大きな御守りになると思います。丸二が目指している「最良の建築」とは、とてもシンプルなもので、「良い家だね」「良い造りだね」「良い仕事してるね」「良く出来てるね」「カッコ良いね」等の「良」を最もたくさん集められる建築のことです。生命を失う家を建ててはならない。心を失う家を建ててはならない。これからの「最良」は、住む人の生命と心を守る、御守りの建築になると思います。