2009.06.22
脳死
18日、臓器移植法改正4法案のうち、脳死を人の死と認め、15歳未満の子どもからの臓器提供を可能にする案(A案)が可決しました。これによって、脳死臓器移植の拡大が期待できるので、ドナーを待っている方々にとっては朗報ではないかと思います。ただ・・・私個人としては、「脳死は人の死」と定義までしてしまうことに、少なからず抵抗感が残ります。
仮に脳が停止しても、心臓が動き、体の機能が活動しているのであれば、それは「生」ではないかと。生まれる時に、天から与えていただいた(貸していただいた)肉体が、まだ生命として生き続けようとしているのであれば、それは「生」のひとつの立派な形ではないかと。その認識の上に立って、本人や家族の判断(思想・哲学・死生観)によって、臓器移植の可能性をさらに拡大することは、確かに理解できることです。
今回のような法案は、現在の景気対策や国づくりの問題とは、随分遠いところに位置する問題なので、解散総選挙への直接的な影響は無いと思いますが、ただ、今回の投票で反対票を投じた方々の名前だけは、とりあえず頭に入れておこうと思いました。つまり、この人たちは・・・(多分)私と同じように、「脳死は人の死」だと本当に言い切っていいのかなぁ・・・と、素直に思い悩んだような気がするからです。臓器提供の機会を増やすことには賛成でも、「脳死は人の死」とまで決めていいのかと。だからD案の方がいいのかなぁ・・・とか。
「(天から)与えられた肉体」という観点が出てくると、臓器移植に関する捉え方も、今後大きく変わっていくと思います。それは、人の生き方・人生観につながり、最終的には国や世界を幸福にする思想・哲学にもつながっていくと思います。だから、今回の法案は、そのための第一歩になって欲しいと思います。現状の景気対策や、社会保障、防衛対策をどのようにするかという「表」の重大案件と共に、ゆっくりと、じっくりと、認識を深めていって欲しいと思います。私たちも、一緒に考えていきたい大きな問題だと思いますので。