2007.10.26
高村薫氏の「言葉」
私が大好きな小説家の一人に、高村薫さんという女流作家がいます。有名なのは「マークスの山」等の警察小説ですが、「リヴィエラを撃て」「李歐」「照柿」「レディ・ジョーカー」も良かった。最近では「新リア王」のような政治家を扱った作品も出て、全体的に非常に重厚かつ深遠な作風であり、社会や人間への厳しい眼を感じさせます。
先日、その高村氏の「作家的時評集2000-2007」という文庫本を見つけ、早速読んでみました。これは、2000年から2007年にかけて、いくつかの新聞や雑誌のために書かれた短い時評発言集であり、その時々に起きた事件、事故、選挙(政治問題)、社会問題を非常に鋭く批評したものです。
今、この高村氏の時評発言を読むと、「物事の本質を捉えて発言すること」の恐ろしさが分かります。当時の世論やマスコミの風潮を思い出すと、その時点における高村氏の発言は、完全にマイノリティー(少数派)であり、黙殺されるべき意見であったことが想像できます。そのような完全に無視される意見を、コツコツとリアルタイムに発表し続けることは、作家として必ずしもプラスではなかったはずです。
しかしながら、この半年くらいで世の中の空気が変わってきました。今、社会は高村氏が言い続けた「困った」状態であることに、やっと気づき始めました。そうなってから色々とプロの評論家が論評をするのは容易いことです。しかしながら高村氏は、ずっと以前から少数派として物事の本質を捉えて発言し続けてきた。ここが違うところです。
高村氏の意見や批評の内容については、ここに記しませんが、まさに今の日本にとって大切な「言葉」ばかりだと思います。「言葉だけで何ができる」という意見もあるかもしれませんが、私は違うと思います。まず初めに「言葉」がなければ、何も始まらず、何も生まれません。むしろ「言葉」なき「行動」の方に恐ろしさを感じます。
「困った」世の中を変えるには、自分自身の生き方を変えるのと同時に、社会を変えることが必要です。そのために、高村氏は「とにかく選挙に行くこと」を繰り返し述べています。今の政治だけで世の中が変わるとは到底思えないが、それでもただひとつの選択肢である以上、参加しなければいけないと。今の若い人たちがもっと社会に対して参加していかないと、最後に一番痛い目に合うのは、自分たちなのだからと・・・。
私も、そう思います。