2005.05.25
(趣味です)
ブログを始めて、半年ほど経ちました。意外と面白いです(笑)。最近、「たまにはパーソナルなことも書いた方がいいよ」とのアドバイスをいただくようになりました。なるほど!それでは勇氣を出して、時々ですが、控えめに、趣味等についても綴っていこうと思います(あまり趣味は無いのですが・・・)。
そこで、いきなり、おじさんのCDジャケットです。私はクラシック音楽が好きで、いろいろ聞いています。ひとつのストレス解消法ですね。でも、音楽はまったくできません(中学生の時、5段階で「2」の時もありました・・・)。楽器もできません。楽譜も読めません。歌も下手です。ただ聞くのみです。CDを買うのが好きなのかも知れません。家のCD置き場に困ってます(笑)。さて、最近のヒットはこれ。モントゥー指揮:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のベートーヴェン交響曲第3番「英雄」です。録音は私が生まれる前の1962年(43年前!)。古いですがステレオです。
実は、「英雄」は他にも何枚も持っているのですが(!)、この演奏を聴いて、初めて「いい曲だ!」って思いました。同じ曲なのに、違うんです。ここが、クラシックの面白いところ。建築で例えると(結局、仕事の話に戻ってしまいます・・・)、作曲者の書いた譜面は建築図面のようなものです。音を記号で表すので、当然限度がある。だからすべての情報は書き切れないんですね。図面も同様に、書き切れないところがたくさんあります。音楽の場合は指揮者が解釈をして、実際の音にします。音のバランスや色合い、強弱、テンポは楽譜に書き切れていないので、指揮者が考えて、決めて、オーケストラの各演奏者に指示をします。建築も同じですね。図面を見ながら、現場監督が解釈をし、納まりを決め、施工図に落とし込み、それを各職人さんに指示をする。つまり、指揮者や現場監督の解釈と指示によって、初めて作品は現実化するわけです。
ですので、現場監督の仕事はオーケストラの指揮者と同じだと思うのです。素晴らしい仕事です。絵や記号に生命を吹き込む尊い仕事だと思います。完成した喜びは、演奏が終わった時の感動に通じます。私は、クラシックが永く生き続けているのは、実は曲そのものよりも、それに生命を吹き込み続ける指揮者たちの存在によるものと思います。よって、建築文化の歴史は、一人ひとりの現場監督の汗と涙の結晶そのものだと思うのです。さて、モントゥーの「英雄」、いいです。お勧めです(笑)。(控えめといいながら、結構長くなってしまいました。また続きは、そのうちに)